長尾山から大室山へ(鳴沢

富士山の側火山の中でも大物の大室山を登ったあと、その付近の側火山、長尾山や片蓋山などにも行きたいというリクエストがあって、何度も計画に入れたのだが、天候に恵まれなかったり人数が集まらなかったりで先延ばしになっていた。

人数を集めなければとしていたら昨今の情勢からいつになるやらわからない。しかし4人が手を挙げてくれ、久しぶりの富士山麓への旅が実現した。好天にも恵まれたのはうれしかったが、気温が異常に高く、まるで真夏のような大汗をかかされた。

まずは長尾山である。れっきとした登山道はなさそうだが、車道の通る天神峠から標高差で100m足らずとなれば、どう登ってもしれていて、そのとおり15分で頂上三角点に達した。そこで思案、残りの片蓋山と弓射塚を片付けたとしても、まあさほど違った山でもないだろう、参加者のふたりは大室山に登ったことがないので、やはり側火山の王者を表敬すべきではないかと。私にとってもこちら側からの大室山は初めてで、その興味もある。

衆議は一致、長尾山から大室山へ、青木ヶ原樹海を造った、かつての溶岩の流れのとおりに縦走することになったのである。こんな行程は突発的でないと考えにくいのでまことに面白い山旅となった。「樹林の山旅」という題名の本があるが、文字どおりそんな山歩きだった。ま、世界文化遺産になって以来、入山にも気を遣うようになったこの山域なのだから、くだくだしい過程は書くまい。ネット上には余計なことを書かないのが山歩きの自由が阻害されないようにするための見識であろう。


大日岩とトッコ岩(瑞牆山)

大日岩には木曜山行で過去に2回出かけていてる。

http://yamatabi.info/2010g.html#2010g3

http://yamatabi.info/2011f.html#2011f2

それもかなり以前のことになったので、久しぶりにご機嫌伺いをしようとこの初夏、シャクナゲの花期に計画したが悪天で中止、しかし花の時季を逃すと次は一年あとになってしまうとひとりで出かけて、その際のことは参考記録として書いた。

http://yamatabi.info/2017e.html#2017e3

大日岩だけでは面白くないと、トッコ岩もついでに見てきたのだが、あいにくの天気で悔いが残った。そこで今度は秋に行こうと、早く計画を発表したら、それが功を奏したのか偶然が重なったのか、昨今稀に見る、定員オーバーにならんとする大盛況となった。それならそれで天気が心配だが杞憂におわった。願ってもないような好天が訪れたうえに、今季初めて富士山がそれらしい雪化粧をした朝になったのである。

横浜や東京組との合流があるので遅い出発になったが、瑞牆山荘前の広い駐車場をほぼ満杯にした人たちはすでに出たあとで、登山道が静かだったのは幸いだった。まあ、いかに人が多くとも、瑞牆山への径から小川山へと分岐すれば人っ子一人いなくなるわけだが。久しぶりに登った里宮坂はてっぺんのカラマツが伐採され、かつてのような瑞牆山の大観を望むことができた。しかしこれだけ伐ったのならあと数本伐ればいいのに。

八丁平付近からは新雪を見るようになった。つい先日の台風のせいだろう、倒木に行く手をさえぎられたりもする。そして苦労しただけの甲斐のある展望に恵まれたのは添付写真にあるとおり。この、大日岩の西側の広場で八ヶ岳や瑞牆山の眺めをほしいままにしながら遅い昼休みをした。

大日岩を東に回れば、金峰山の胸のすくような稜線が五丈岩に向かって昇っている。そして新雪の富士。またしても足を止めてしまう。今回のおまけ、トッコ岩にシャクナゲを藪を分けて達すると、そこからの富士もまた良かった。

しかし、遅い出発だったにもかかわらず、あまりの好天についつい各所で長居をし過ぎ、富士見平からの下りではヘッドランプのお世話になったのはちょっとミスだった。

水落観音から龍岡城へ(信濃田口)

去年の早春に木曜山行で出かけた水落観音の雰囲気が気に入った。http://yamatabi.info/2016c.html#2016c1そこでお堂の背後の水のしたたる岩壁にからんだ藤が花をつけるころにもう一度と思って今年の5月に計画したが事情で流れてしまった。それで今度は秋にと三たび予定に入れたのだった。

佐久へと向かう秋空のもとには澄み切った大気のせいだろう、浅間連山がひどく近く見える。野辺山から正面に見える臨幸峠の稜線あたりの落葉松は折しも黄葉の盛りを迎えている。我々の地方には植えられたカエデ以外に赤は少ないが、それでも錦秋には違いない。青空に黄葉はよく似合う。

前回は水落観音から稜線に出て東へと歩いていったのだったが、今度は西へとたどって龍岡城をゴールにすることにした。去年新調した飛び道具があってこその縦走である。

県道から参道に入ってすぐ、ソーラー発電所予定地と看板があった場所は1年半の間にパネル畑になっていた。皆伐された山肌が痛々しい感じがする。

水落観音への参道には、やはり神領のせいだろうかこの地域には少ない杉が植林されており、いささか暗い。雨が続いたせいで、ところどころ道が川のようになっている。やがて上方に石垣が見え、いつのものとも知れない古い石段に導かれて観音堂の前に出る。観音堂は外壁に新建材も使われて趣はないが、周辺には、かつてかなり多くの建築物があったのだと思われる平坦地が二段になってあり、ここに建物があったのだろう昔を想像してしまう。大きな石灯篭には寛政の文字が彫られていた。

観音の名の由来になった、岩壁にしたたり落ちる水の量はかなりのもので、ことに今年は多いのだろう。それにしてもここが稜線直下であることを思うと、これだけの水が湧いているのは不思議なことで、古人がここに観音様を祭ったのには、この不思議と、貴重な水源を大切に思う気持ちがあったからに違いない。

岩壁の西側から登るとすぐに稜線に出る。地形図からも読めるとおり、尾根筋がはっきりしない広い稜線である。地形図にない林道が通じており、これを西へとたどる。何人だろうが休めるような広場がいくらでもあって、そのひとつで昼休みとした。カラマツの葉が雨のように降って、コーヒーカップに入ってしまうのには閉口した。

地形図に記載のない林道がとにかく曲者だが、地形図にある林道が、こんどは藪に埋もれて不明だったりするのでなおさらややこしくなる。どうもおかしいと、NさんのGPSをカンニングさせてもらい、方向を修正したりもした。県道の北側に並行する尾根をとらえてしまえばあとはわりと簡単だったが、それにしても慣れない人には無理だろう。

龍岡城北側の三角点あたりはかつての山城跡で田口城というらしい。ここまで来ると整備された道があるが、台風のせいでかなりの荒れようである。龍岡城の展望台もしつらえてあり、高みから五稜郭の様子を見ることができた。

龍岡城にある佐久市立の観光案内所ではかつて歓待を受けたことがあったが、今回もそうで、地元のご婦人方にもてなしていただいた。我々が水落観音から山を伝ってきたのだというと驚いていた。ここへ来たなら新海三社神社と蕃松院という寺はぜひ見て行ったほうがいいというので帰りがけの駄賃に見学してきたが、これは駄賃というには失礼にあたる社寺で、ことに神社にある三重の塔は立派なものだった。神社にあるという珍しさもあり、これだけのために行く価値があると思った。このあたりは川原宿というかつての宿場町で、家並が概して立派である。神社や寺もおのずと立派になるのだろう。


閼伽流山(御代田)

佐久に閼伽流山という山があることを教えてくれたのはMさんで、最初はどう読むのかもわからなかった。この「あかるさん」がどこにあって、どう登ればいいのかを調べ、出かけたのは2009年の5月だった。計画では違う山だったが、雨模様だというので、林道を歩くだけで済みそうなこの山に急きょ行先を変えてのことだった。

なるほど、これは天気が怪しいときに行くには最適の山だなあと気に入って、その月のうちにもう一度登ったしhttp://yamatabi.info/0904.html、そんな天気の日にばかり何度も登った。たわら写真集にその一例があるhttp://yamatabi.info/tawara-20091228.html。車の通らない林道を、古い墓石や観音像を見ながらぶらぶらと登っていく。頂上直下の垂直に切れ落ちた岩の伽藍の下には何十体もの石仏がおわす。ちょっと他にない雰囲気の山だし、広い休憩舎があるおかげで、雨宿りもできる。

「信濃閼伽流山」という立派な本があって、そのときの参加者のかなりの人が買ったが、まだまだ流通している。平山郁夫の絵が何葉もカラー図版で入っている豪華本だから、興味のある人は買って損はないと思う。ちなみにアマゾンでは高い。日本の古本屋のほうがずっと安く、1000円そこそこで買える本もある。

山の存在を教えてくれたMさんはあいにくこの山に登ったことはなく、前々から一度連れていけと言われてきた。そこで、山歩大介さんのリハビリにもちょうどよいとあって木曜山行の計画に久しぶりに入れた。ところがおふたりの都合がいい日が木曜日ではなかったので、11月の木曜山行を前後したり移動したりして昨日登ることにしたのだった。

その結果、閼伽流山に一度晴れた日に登ってみたいものだと思っていた私の希望も叶えられることになった。11月に訪れるのは初めてだったが、麓の明泉寺のもみじも見頃で、頂上近くの黄葉もすばらしかった。何より、仙人ヶ岳展望台から、今まで見たことのなかった展望が得られたのはうれしく、そこから槍穂の峰々が望めると知ったのも初めてだったのである。ものはついでと閼伽流山最高点まで行ってみた。そこまで登ると、もうほとんどの葉は落ちているが、落葉で埋まった林の風情もまた良かった。

数々の遺構の中でも、私がいつも見て感心するのは、芭蕉の句碑と呼ばれている自然石の下の石垣である。現地には何の説明もないが、これだけの石を積み上げて造った平坦地には何が建っていたのだろうか。登り下りが大変なほどの急斜面にこれだけのものを築く技術は現代人には想像しにくい。

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