日向山(北東稜)(長坂上条

「風雪のビバーク」の松濤明は昭和15年2月、戸台から甲斐駒に登り、日向八丁尾根を台ケ原に下っている。弱冠18歳のときの単独行で、現代からするととんでもない若さでの、しかもその時代からするとかなりの大冒険である。

とっくの昔に死んでいるから前時代の人と思いがちだが、もし存命でも今年95歳というのだから今どき珍しい年齢でもない。早世がむしろ名を残すことはよくあることである。

そのとき松濤が日向山から下ったのが、記述からするとどうやら田沢川の左岸尾根と推察される。ところでこの尾根を今までそう呼んできたが、そんな七面倒な言い方をしないでも単純にこれは日向山北東稜としたほうがわかりやすいし妥当だと思う。

白州のカフェでこの尾根を登ったという話を聞いて、すぐに登りに行ったのが9年前の4月で、これはすばらしいとすっかり気に入り、そのひと月後の木曜山行でさっそく計画し、新緑の良さに酔った。http://yamatabi.info/tawara-20080522

新緑を楽しめばさらに紅葉をもと思うのは当然で、秋に登ったのはその4年後だった。http://yamatabi.info/2012i.html#2012i4

そして今年、あの新緑をまた見たくなって計画に入れた。過去のいずれにも参加のおとみ山に、もう食傷ではないですかと問うと、まったく記憶にございませんと国会の証人喚問のようなことを言うので頼もしい。

登山口ではもう濃かった緑が登るにつれ淡くなっていく。矢立石からの登山道では想像もできないような深山の趣もある。径がまずまずしっかりしているのも美点で、登る分には初心者でもさほど苦労はないだろう。

頂上近く、小さな沢の源頭部で雰囲気が圧巻となった(添付写真)。そこからは背丈の低い笹の中にかぼそい踏跡が続き、適当なところから北へトラバースしていくと、あの砂浜に出る。

まだ昼前だったので最初は誰もいない頂上だったが、やがて続々と登ってきた。それでも平日だから20人はいなかっただろう。神様が祀られたピークで昼休みをする。小雨がときおり降るような天気だったが、鳳凰が見えたり、駒も一部は見えるのだから上出来である。最初はびっくりする雁ヶ原の風景だがさすがに新味はない。

空が暗くなったところで腰を上げ、駒ヶ岳神社に下ったが、予想に反して天気は良くなり、こんどはどんどん濃くなっていく緑と木漏れ日を味わったのだった。

補遺

● 北東稜の途中の三角点(点名田沢川)のそばに石祠がある。今回屋根の向きがおかしいので直してきたが、この10年間でこれだけ変化しているのである。動物がするとも思えないので人為だろうが、どういった料簡だろうか。(参考写真へ

● 前々から日向山に行くたびに、微妙に頂上の様子が変わっていると感じていた。花崗岩の風化があのような奇景を造ったのだから、日々変化しているのは当然だが、今回の写真と9年前の写真を見較べると、その変化がわかって面白い。たかだか10年だから、右側の大きな岩は風化してなくなったわけではなく、地盤が崩れて落下してしまったのだろうが、それにしてもこれだけの岩が忽然となくなるとは。(参考写真へ

カシガリ山(南大塩・霧ヶ峰)

去年の秋、カシガリ山に麓から登ったことはこの掲示板に書いた。

そこに「ビーナスラインを利用して登りか下りだけの山歩きとするのが楽しめそうだ。(麓からカシガリ山の往復だけだと)初めての人にとっては、高原情緒を満喫できるカシガリ山と伊那丸の間を歩かないのはいかにも画竜点睛を欠く。新緑の木曜山行でぜひ実施したいと思う」と書き、それをさっそく今年の新緑の時季の計画に入れたのだったが、片道だけにしても、山は登らないとすくなくとも登山にはならないというわけで、たわらさんに車を出してもらって、あらかじめ伊那丸駐車場に1台デポした。

そこからいったん登山口まで800mも下るのだからご苦労さんなことで、「こんなに下るのか」と車中では恐慌をきたしている。なにせ茅野市塩沢集落を出発点とするのだから、標高差もさることながら移動距離が長いのがこの登山の特徴である。たどる稜線の東側に並走する大門街道はいつも車で通る道で、あれを下から峠まで歩くなんてご免被るが同じ距離でも山道なら歩けてしまうものである。

朝倉山は割愛できるが、これも面白い山だから行きがけの駄賃に登っていく。朝倉山の急登以降はとにかく樹林帯の緩登が続く。危ないところのない広い尾根が続くので地図読み山行には最適であろうが、簡単とはいえない。

行程の半分くらい登ったころから、標高が上がったこともあって新緑が実に美しくなった。広い尾根をうっとりしてさまようがごとく登って行った。正午になってもまだ頂上は先だったが、腹を満たすと足が重くなるので昼食はあとにすることにした。とにかくこの山の最大の難所は、頂上直下の急登なので、それを登り切ってから休みたい。

その急傾斜がカシガリ山の名前の由来である頂上直下の斜面は岩くずですこぶる足場が悪い。それを登るのは少々危ないので、細い鹿道をたどってトラバースするが、足元はやはり岩くずで状態は悪い。隣の笹尾根に逃げても急登は変わるはずもなく、最後の最後で大汗をかいて、ようやく霧ヶ峰の一角に飛び出した。頂上三角点のわずか西である。4時間かかってたどり着いたことになる。

麓から登るカシガリ山の達成感は、樹林帯から突然広大な高原に出たこの瞬間にあるといえよう。遠望こそないものの、蓼科山から八ヶ岳にかけてはほぼ見えたし、明るい陽ざしも出た。広大な原にはズミが多く、花を咲かせている木も多い。

のんびり休んだあとは伊那丸駐車場に向かっての高原漫歩である。さらに拡がっていく展望を楽しみながら長大な稜線歩きを終えた。駐車場にはたわらさんの車がぽつんと一台あるだけで、結局、この日も誰ひとりに出会うことなく山歩きを終えた。


大日岩・トッコ岩(瑞牆山)

夜半にはいったんやんだ雨が、朝方になってまた降り出した。天気としては回復傾向なので、なんとかなるのではと思っていたが、唯一参加予定のおとみ山が戦意喪失とあっては木曜山行としては中止とした。しかし、花の様子を見たいのと、行ってみたい岩峰があったのでひとりで出かけることにした。

登山口に着くと、瑞牆山はすっきりと見えているし、ハルゼミは大合唱をしているし、青空すら見えるので、これはラッキーかなと思ったら、すぐに霧が巻いてしまった。もっとも、雨具を出すようなことは終始なかった。

2011年、昨日と一日違いの日に大日岩に出かけた。そのとき富士見平下でミツバツツジとシャクナゲが同時に咲いていたのが実に見事で、それをもう一度見たいなと思ったのがこの週に計画した理由だったが、残念ながらどちらともすでに咲き終わっていた。だが、縦八丁のシャクナゲは見事で、まだつぼみの木も多いから、この週末あたりが最高の見頃ではないかと思う。暗い林床に咲くシャクナゲには晴天はあまり似合わない。その点では昨日は好条件だった。

猿途山から双眼鏡で金峰山方面を眺めていたら、大日岩の右側に特徴ある岩峰が見えた。もっとも、今までだっていつでも見ているのだが、たまたまそのときは印象に残ったということである。

ちょうど今週大日岩に登るつもりでいるのだから、ついでにそれにも行ってみようと思ったのである。大日岩から砂払にかけて、金峰山の登山道は信州側にあるので、甲州側の岩峰は知らぬままに通過してしまう。

大日岩へは直登ルートで登り着いた。霧でまったく見通しがきかない。岩陰で風を避けて天候の回復を待ったが、どうせ待つなら初めての場所で待ってみようとくだんの岩をめざす。

霧に濡れたヤブを突破するのは厄介なので、突っ込みやすいところを探して登山道を登っていくと、少々行き過ぎて、出たところは目指す岩場のひとつ東の突起だった。まあしかし、そこのほうが岩場そのものを眺めるには良さそうだと踏んで、ねばることにした。最初、一瞬目の前に岩峰群が現れたが、それきりで1時間がたった。

やはりだめかと下山開始、大日岩の基部まで下ったところで、忽然と目の前に鷹見岩が雲の中から現れた。遅かりし、と思ったが、しばし考えて戻ることにする。そして岩峰の全容を見ることができたのである。

あとで調べたら、この岩はトッコ岩という名前であった。金山から見たときに水晶の原石に似ているからだという。トッコとはそれを言うらしい。隣の尖塔は文字通り石塔岩という。

トッコ岩まで行かずに帰るわけにはいかない。適当なところからシャクナゲ林に突入した。もう濡れようが服が破れようが構ってはいられない。

近づいてみると、なんと面白い岩の造形なことよ。大日岩の岩にのっかった卵のような石も面白いが、ここの、石塔が大岩に寄りかかっている様も面白い。近景しか眺められなかったが、大展望が得られることは間違いないのだから、秋の好日にでもまた来たいものだと思った。


大笹峰からダケカンバの丘へ(霧ヶ峰)

2005年7月、霧ヶ峰に今では考えられないようなニッコウキスゲの花盛りがあった。この花盛りを見ないわけにはいかないよと、いろいろな人に薦めた結果、一週間に4度も歩くことになった。

飽きもせずそれだけ出かけたのは、花もさることながら、この花盛りを楽しむのに、人の多いありきたりなコースでは面白くないと、エコーバレースキー場からの周回コースを初めて歩いて、すっかり気に入ってしまったからでもあった。

当時も今も、霧ヶ峰を歩くメインコースは八島湿原と蝶々深山、車山を結ぶコースで、6月ともなれば学校登山で大行列ができることが珍しくない。ところが当時、ゼブラ山から北の耳、南の耳と霧ヶ峰の東の外周をたどるコースにはまだ道標も未整備で歩く人が少なかった上に、これは今でもそうだが、車でほとんど頂上まで行けるような山に、歩いて登ろうという発想をする人は少ないから、エコーバレー(山彦谷のままでよかったのに)からのコースでは、外周に出るまで人に会うことはほとんどなく、すさまじいほどの花盛りを独占して楽しめたのたのだった。もっとも、今でも外周を歩く人は蝶々深山コースに較べれば格段に少ない。

キスゲは年々減って、今では鹿柵に囲われた場所以外で咲いていることはほとんどない。

以来、霧ヶ峰を歩くとはエコーバレーからのコースを歩くことで、季節を変えていったい何度出かけたかわからない。

ところが、数年前からエコーバレーのカラマツがところどころで大伐採され、歩道に入るまでにたどるスキー場内の林道が、眺めこそよくなったものの、少々味わいに欠けるようになってしまった。

そこでスキー場を避け、登路を変えて大笹峰に登り、外周コースをわずかに歩いたのち、ダケカンバの丘で昼飯にしようというのが昨日の計画であった。ダケカンバの丘へはこれまでゼブラ山経由で行くばかりだったのを、たまには変化をもたせようというわけだ。

登路にとった尾根は歩きやすく、ほぼカラマツの植林ではあったが、上部では自然林も残っていて、すさまじい蝉時雨の下を快適に登った。大笹峰に出ると、ここのところの霧ヶ峰歩きの中では最高の眺望を楽しむことができた。すなわち日本アルプスと御嶽山、浅間連山、そして八ヶ岳、そしてちょっぴり富士山という、おそらく日本一の山岳展望である。

前述したようにエコーバレーとは山彦谷の直訳だが、ここにスキー場や姫木平の別荘地もなかった頃、すなわちただの山彦谷だった頃のことは、手塚宗求さんの本に書かれている。

むろん今では当時を想像するしかないわけだが、きっとこんな風だったのではないかなあという森が一部にある。それが、ダケカンバの丘から下って、防火線を横切ったあと、わずかに残っている美しい林である。

ダケカンバの丘で憩う時間もすばらしいが、この森をさまよい歩くのも私の愉しみのひとつである。

ダケカンバの丘の木陰には鹿の寝床がいくつもあった。休んでいる間、何頭もの鹿がやってきては遠目にこちらをじっと見ていた。自分たちのねぐらなのに迷惑なことだと思っていたのだろうか。ま、またしばらくは人間が来ることもないだろう。

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