閼伽流山(御代田)

「あかるさん」と読む。麓の明泉寺から歩き出す。石造物が次々に現れる。杉の大木が現れると行く手に鐘楼が見えてくる。そして絶壁の下にはおびただしい石仏が並ぶ。絶壁からは水がしたたり落ちている。「閼伽」というのは冷たい水で、これが山名の由来か。休憩所で雨をやりすごし、昭和天皇が摂政時代に登ったという仙人ヶ岳へ。佐久平方面に眺めが開けた。ここから三角点を経て城跡へ。城跡には字の消えかかった石碑があるだけだった。
大石峠から節刀ヶ岳(河口湖西部)

交通の便の悪い芦川から大石峠に登る人はごく少ない。だから静かなうえに峠道の樹林のよさは河口湖側に比べて圧倒的にすぐれている。歩きやすい径は500mの標高差を感じさせない。稜線が近くなり、ひょいっと大石峠に飛び出す。目の前に大きな富士。この演出も北側から登ったときだけのもので、富士を見慣れた我々からもやはり歓声はあがった。いくつかのコブを越えてたどり着いた節刀ヶ岳、富士山側の木が切り払われ、以前より眺めがよくなった。
権現山(上野原)

5年前の冬、木曜山行で歩いたのと同じコースである。そのときに、これは新緑のときに歩けばすばらしいだろうなあと思ったのがやっと実現した。大月駅から木曜山行としては珍しいバスでの出発である。浅川峠から北へ向かう尾根を登るにつれ緑は明るい色になっていった。頂上から新緑の稜線を東へ。下るともなく下っていく尾根径歩きはそれだけに長い。しかしこれがこのコースの白眉で、権現山の茫洋とした山容をおのずと知ることになった。
閼伽流山(御代田)

剣ヶ峰へ山菜採りという計画だったが、雨となっては薮山には入れない。雨は太平洋に近いほうが激しいという。ならば北へ逃げよう、そこで浮上したのが3週間前に登ったばかりの閼伽流山であった。石仏を眺めるうちに雨が強くなり、休憩所で休むうちにまた上がったのはまったく先回と同じ。だが今回は仙人ヶ岳まで。山を下ると、明泉寺の奥さんが本堂に招きいれてくれ、ご本尊と、すばらしい墨絵の龍と虎の天井画が拝めたのは、望外のおまけだった。
木賊の頭(瑞牆山・御所平)

信州峠から飯盛山へ縦走するとき、すぐそばを通過するが、稜線から少し離れているため、あまり頂上に立つ人はいない。大平牧場からのルートを覚えてからは、横尾山に登るにしても、もっぱらこれを登ることが多くなった。稜線にたどり着くまで道標は一切ない。八ヶ岳の展望が身上の木賊の頭からは、権現岳や赤岳もかろうじて頭を出して、なんとか面目を保ったが、あたりの新緑の瑞々しさは、展望が二の次に感じられる半日の山歩きだった。
尾高山(大沢岳)

大鹿村1泊山行の1日目である。松川からしらびそ峠を目指す。しらびそ峠では一気に南アルプスの展望が開け、歓声があがった。これが見えると見えないでは大違い、ここまで来た甲斐があったというものである。尾高山までのゆるい尾根道は、登るにつれて深山の雰囲気を増し、頂上近くなるとシラビソの純林のようになった。登山口に戻ったとたんに本降りになった。悪い予報に、早々と翌日の山を中止とし、大鹿の宿、延齢草では、延々と宴は続いた。
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