25. 東吾妻山、吾妻小舎      1999(平成11)年5月6日

最初に東北の吾妻連峰に行ったのは1972年の夏で、初めのうちは谷地平や西吾妻の無人小屋を使っていた。それが82年6月に吾妻小舎の遠藤守雄、雅子さん夫妻と知りあってからは、吾妻といえば吾妻小舎オンリーとなって、約30年、60回を超す回数通ったものである。残雪から紅葉の季節まで、山ももちろんだが、遠藤さんに会うのを楽しみにして、よく出かけた。また、冬に小舎を閉じて下の家におりている間は、遠藤さんの車で阿武隈などの山へも何度か連れていってもらった。青森の一戸義孝さんの出版記念会には、その周辺の山に登りがてらの長躯、やはり遠藤さんの車でのドライブだった。

遠藤さんは若い頃から癌を病んでいたが、東北大震災があった2011年の4月、61才という若さで亡くなった。生前は夫婦お揃いでこのロッジ山旅に泊り、長沢さんの先導で横尾山に登ったこともあったし(参考)、東京に出てきた折には雲取山や奥武蔵の伊豆ヶ岳、高尾山にも一緒に登っている。わが家では、今も折りに触れて遠藤さんのことが話題になり、その思い出は尽きない。遠藤さんは実にいい人だった。

この3枚の写真は、19年前、奥多摩山岳会時代からの友人中野英次さん(既出)と残雪期の東吾妻山に登った時のもので、頂上からは西に連なる吾妻の山々がよく見えていた。それに、いつも山へと小舎をでる時には、遠藤さん夫妻が「気をつけて」と見送ってくれたものである。

なお、今は亡き望月達夫、柿原謙一、丹羽彰一、岩瀬晧祐、寺田政晴の皆さんとも、この小舎に泊まって東吾妻山や一切経山に登ったことがあり、吾妻小舎といえば、遠藤さんとともに、そうした人たちのことも思い出されてくる。そして、もう一度、望月さんや丹羽さんなどと遠藤さんが笑顔で迎えてくれる吾妻小舎へ泊まり、鎌沼の辺りを歩いてみたいと思うこと、切々。

なお、当ロッジのご主人とは、「遠藤さんが小舎に入っているうちに、一度行きたいね」といいながら、果たせずに終ってしまった。 長沢さんも「残念なことをした」といっている。(長沢註)

補記 

遠藤雅子さんは守雄さん亡くなった後も小舎に入っていたが、後事を若い高橋豊明さんに託して3年ほど前に山をおりた。   (2018.10)
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