24. 旧観音峠道      2009(平成21)年6月14日

ご存知、茅ヶ岳続きの金ヶ岳と曲ヶ岳、その間の1400b近い観音峠を今は車道が越している。昔は、この峠の僅か西の鞍部を越す歩道があり、そこを大峠といっていたと原全教さんの本で読んだ。御嶽参りの参詣者が利用した峠道で、路傍には多くの観音像が置かれていたともいい、文政(1818〜29)の頃には、途中の観音の平には御嶽の祭りを当て込んだ野芝居までがかかる賑わいだった由。(参考)

では、その峠道の北側、すなわち須玉町側の路傍に今も残る観音像を探しながらたどってみましょうというのが、この日の長沢さんの案で、お供はクリオ君。7年前に長のお別れとなったが、私はクリオ君が大いに気に入っていた。並みのチンコロとはわけが違うのである。利巧でおとなしく、それでいて野生味充分。蟻ヶ峰では脱兎?の勢いで野兎をとったったのを見ているし、長沢さんのいうところでは小鹿もとったこともあるそうだ。坂本桂さんからもらったチクワを二噛み三噛みで呑み込み、「もっとゆっくり味わって食えよ」と、その度に云われていた。

この項では、まずクリオ君を偲び、さらに愛惜の念をこめて先代のロッジ山旅号の1枚を加えておいた。 この車にもずいぶんお世話になった。(2018.9)

長沢註
クリオの想い出
山旅号の変遷

                                    横山厚夫さんのページトップへ   
 ロッジ山旅トップへ