ロッジ山旅号の変遷      

ロッジ山旅を始めるとき、山の人を泊めるのだから登山口への送迎には万全を尽くしたいと思い、これも、宿をするなら必要だろうと買った初めてのパソコンを駆使してインターネットで中古車を探した。条件は10人乗りで4WDである。

こういった条件に合う車は、ほぼハイエースとキャラバンの2択で、そのときはたまたま八王子のトヨタの店でハイエースを見つけた。

まだネットで車を買うことが珍しかったから喜んだのだろうか、現車をわざわざ当時住んでいた河口湖まで見せに来たのには驚いた。選べるほど出回っている車でもないので、どこかの建設会社の送迎用で使っていたというそのハイエースを買うことにした。たしか150万円くらいしたと思う。

ブルーのラインと建設会社の名前が入っていたのを、全部取りましょうかと言ってくれたが、ラインだけは残してもらった。その上に今度はロッジ山旅のカッティングシートを貼ったのである。

2000年7月にロッジ山旅を開業してから半年は、私は前の河口湖の職場にまだいて、家内がひとりで先行して営業をしていた。したがってどうしても2台の車が必要で、以前からのセダンにハイエースが加わったわけである。前の仕事をやめるときにはセダンも処分して、送迎にも使えそうな車というので買ったのがマツダのボンゴだった。これが8人乗りだったから、2台合わせて16人を運べる態勢ができた。20人しか泊まれない宿だからそれだけ乗れたらまず間に合う。

ハイエースの3000tのディーゼルエンジンは実に力強く、10人乗っても、ものともせずに加速した。ただし、10人分の荷物を載せるには荷室部分が小さく、シートも薄っぺらく、いかにも短距離用の送迎車だったから、ちょっと遠い所へ行くときには乗っている人が気の毒だった。

とはいうものの、それらの問題をすべてクリアするには同じハイエースでも、グランドキャビンというクラスを買わねばならず、それは中古でもおそろしく高くてとても手が出なかった。

この二頭立てが6年くらい続いた。ボンゴはブレーキ時の後輪のロックが唐突で、何度か危ない思いをした。それとエアコンがついていなかったので、暑がりの私は我慢できなくなっていた。そこで何度目かの車検が来るのを機に次の車を探すことにし、福島県の中古店で見つけたのがキャラバンの10人乗りだった。ボディをストレッチした特別仕様で、ハイエースに較べてゆったりと乗れる。長距離の移動でもこれなら乗客も楽だと思った。

問題は4輪駆動ではなかったことだったが、どうせ冬には暇なのだし、一台だけ動ければいいだろうと考えたのである。ハイエースの同じクラスに較べて数分の一で買えたのは人気がなかったからで、乗ってみると、たしかにハイエースに較べて車の出来が悪いのは明らかだった。まあしかし、大きいわりには運転しやすい車で、何よりほとんど故障らしい故障をしなかったのと、燃費が10人乗ってもリッターあたり10キロくらいは走ったのだから経済的な車だった。

20人も運ぶことは滅多にないにもかかわらず、ハイエース、キャラバンでの新しい二頭立てが6年も続いたのは、2台ともが帯に短したすきに長しというところがあったからだった。用途によって使い分けるしかなくて1台だけというわけにもいかなかったのである。

しかし2台の維持が年々重荷になり、なんとか1台にできないものかとネットをいつも見ていた。そして、やっとキャラバンの特別仕様車の4輪駆動を見つけた。これなら一台あればすべてまかなえるが、それにしたって今乗っている2台に値がついて処分できなければ買えないのだからほとんど諦めていたのが、古くから馴染みの自動車修理工場の知り合いの輸出業者が2台とも引き取ってくれることになって、あれよあれよと商談が成立してしまった。

ハイエースは13年で10万キロ、キャラバンは6年で5万キロくらい乗ってのお別れとなった。代わってやってきたのが現在のキャラバン山旅号、内装は豪華で、4輪駆動なのはいいとしても、力がなく、坂を登るのも大変、燃費も悪い。千葉の海辺出身で、ここのところ錆びがすごい、という困った車だが、まだ走行距離は14万キロ弱、これに代わる車が高くて買えない以上、修理しながら乗っていくしかないだろう。つい先だってもエンジンの大手術をした。平成7年式だから、もう少しで四半世紀というオールドカーである。いつまで走ってくれるやら。(2018.9)


                                   
追記

2020年2月に山で骨折し、3月には入院して手術することになった。入院中、新型コロナウイルスが蔓延しだし、退院後にはますますひどくなり、4月には緊急事態宣言が出されて、春の観光シーズンをあてこんでいた我々としては大打撃となった。

お客が来ないのはどうしようもないとして、せっかく歩けるようになったのだからと、登山自粛の世の中でも木曜山行には委細構わずに出かけていた。コロナ怖れるに足らずという方々も意外といるもので、ふだんより参加者が多かったこともあった。

そんな5月末の木曜山行で、山旅号に名古屋のNさんたちを乗せて目的地への山道を登っているとき、ちょっと傾斜が急になると自転車にも抜かれそうな速度になったり、途中で車を休めたいと言って休憩したりしたことが、山旅号について尋ねられるきっかけになった。

前年の夏前、エアコンが故障して修理工場へ持って行ったが、車が古くて部品がないので修理不能と言われたこと。数年前に大きな修理をしてもらったが、結局はきちんと直っておらず、他の修理屋に訊いたら、もうだましだまし乗るほかないと言われ、長い坂道を登るときには途中で車を休ませなければならなくなったこと。平成7年式という古い車だから、製造後13年以上の車は毎年税金が重くなるというひどい税制のせいで、年ごとに自動車税が重荷になってきていること。夏さえ終わればエアコンはさほど必要ないので、車検もまだ長く残っていることだし、動いていさえすればそのまま乗って、今年の夏までにまた考えればいいやと思っていたのだったが、コロナ騒ぎで買い換えどころではなくなったこと。などなど。

こういったもろもろの話を聞いたNさんが発案し、山旅掲示板に、山旅号乗り換え支援のカンパのお願いを投稿してくださったのである。これにはすぐに反響があった。皆さん、コロナで困っているだろうなと我々の仕事を心配してくださっていたのだろう。

次々と寄せられるカンパに畏れ多いことだと思いながらも、こうなったら、現用車の車検がある来年2月までに探せばいいや、なんて悠長なことは言ってはおられないぞ、と早速車探しを開始したのだった。そして、それからちょうどひと月後、7月初めには、ロッジ山旅には新しい山旅号が駐車していることになった。

ハイエースの中でも自分の用途では唯一の選択肢であるグレードはどこにでもあるわけではなく、ネットで探すしかない。そしてあらためて思ったのは、ハイエースの中古車の異常な高値だった。もっとも、だからこそ新調をあきらめていたのだったが。

たまたま予算に合う車を見つけたが、それでも年式の古さと走行距離の多さからするとちょっと考えられないような値付けだった。年式こそ当時の山旅号よりは8年くらいは新しいものの、走行距離17万キロは、前のより多走行で、普通の乗用車なら二束三文にしかならない。

ままよ、丈夫なハイエースの定評と自分の勘を信じて現車を見ないまま発注、諸手続きが終わって陸送代を浮かすために自分でさいたま市西区の中古車店まで取りに行った。

初めて現車を見ると、幸いなことに年式からするとかなりきれいな車体で、肝心の客席も汚れらしい汚れもなく、これなら気持ちよく乗っていただけるのではないかと思った。前はディーゼルエンジンだったが、こんどはガソリンエンジンで、車内も静かになった。

こうやって、皆さまのご厚意により、新山旅号がデビューしたのである。感謝する以外にない。

偶然にもナンバーは「ゆ 339」すなわち「YOU 皆 サンキュー」だった。
     (2021.3)