この年、川崎精雄さんはお歳76才、それまで登ったことがないとおっしゃる甲武信岳にご一緒する栄に浴した。奥多摩の蕎麦粒山も同じだったが、「こんな誰でも一度は登る山、どうして今まで登らなかったのですか」と尋ねると、すましたお顔で「なに、君と登るのを楽しみに、これまで取っておいたんだよ」。なんと、人を泣かせる名台詞ではないか。また、かつてバンデル・ポストのアフリカを書いた本で、「バオバブの木は劫(こう)を経て人をだます」と読んだことがあるが、そんな類のお言葉かとも思った。 日程は2泊3日。塩山からはタクシーで新地平、以下は雁坂峠‐雁坂小屋(泊)、雁坂嶺‐破風山‐木賊山‐甲武信小屋(泊)、甲武信岳‐木賊山‐戸渡尾根‐東沢山荘の順に歩き、人里に出てからは、タクシーを呼んで塩山駅に戻った。同行はほかに私の従兄弟のSさんで、彼は本欄の「34.殿平」にも登場している。 上 雁坂小屋にて。 中 雁坂嶺辺りから前途を眺める。手前が破風山(東と西の2つの山頂を並べている)、その向うには左から木賊山、甲武信岳、三宝山が姿を見せている。いわゆる「甲武信三山」の眺めだ。 下 甲武信岳山頂からの富士山と大菩薩連嶺。甲武信岳には1952年の夏以来、計13回登っていて、この83年のときが最後になった。本欄モノクロの部「その1」に載る織内信彦さんと同行した「雁坂峠、甲武信岳 1974(昭和49)年11月1~5日」、また「その2」の奥多摩山岳会の冬季集中登山「甲武信岳 1966(昭和41)年1月2日」などは忘れられない甲武信岳山行である。 謝辞 このロッジ山旅のホームページに「ちょっと昔の山」と銘打ち、古い写真に添えて短文を載せるようになったのは、2012年8月に始まる。以来、かれこれ4年の間にモノクロ写真では「その1」が50篇、「その2」が124篇になり、カラー写真では、今回が丁度100篇になる。その都度、ご主人の長沢洋君には多大のお手数をかけ、厚くお礼を申しあげるしだいである。また、思わぬところから「見ているよ」などとの声もあって、このページを開いてくださった方々にも、心からの「ありがとうございます」をいわなくてはならない。そして今、私は、かつて同行の方々、歩いた山々を懐かしむこと、一方ならずである。 なお、物事はあまり長くなっては興が薄れるのが通例なので、この「ちょっと昔の山」も、今回を持って終わりにしようと思う。 なにしろ、ありがとうございますの一言あるのみです。 (2016.5) 中、下の写真はクリックすると大きくなります |