一ノ瀬、斉木林道・2
     1962(昭和37)年5月28日

本欄に再三登場の画伯こと藤井実さんは、私が大日本図書という教科書出版の会社に勤めていたときに知り合った絵描きさんで、奥武蔵や西上州へよく一緒にいったものである。

このときは藤井さんのほかに松室重親さん、通称ゲンチャン(失礼ながら苗字を失念、また〈なんとかげんたろう〉というお名前だったが、それをどう書くかの漢字も失念。わりに早くに亡くなってしまった)のお二人の絵描きさんも同道だった。

土曜日の夕方に新宿をたち塩山からはタクシーで一ノ瀬へはいって民宿「山の家」(笠取小屋の田辺正道さんの実家)に泊まり、翌日に笠取小屋にあがって雁峠の草原などで遊んでいる。なお、私は月曜の休みが取れず、その日に午後降りだした雨の中を斉木林道から天科へおりて帰ったが、絵描きさんたち3人は笠取小屋にもう1晩泊まっていった。

後日、藤井さんがいうには、小屋番のオジサンが風呂を沸かしてくれたのはよいが、糠が一杯浮遊するとてつもないお湯だった由。その糠とは、風呂桶の隙間を埋めるために詰めたものだがあまり効果はなく、湯からあがると体中が糠だらけになっていたという。



上 雁峠の藤井実さん。

中 田辺義一さん。正道さんの父親、現在、笠取小屋に入っている静君の祖父。

田島勝太郎の著書『奥多摩』(山と溪谷社/昭和10年)に出てくる落合の水源林事務所に雇われた「人夫儀一」とは、義の字は違うが、このおじいさんのことだと思う。苗字もなしにただ「人夫儀一」とはひどいが、田島さんは東京市の助役を務め、なにしろ当時としては雲の上のような偉いお役人だったから、山深い一ノ瀬辺りの山中者などは名前だけの呼び捨てだったのだろう。田島さんには他に『山行記』(昭文社/大正15年)があり、いずれにも多摩川水源の山々を歩いたときの紀行文が何篇か載っていて、それらを読むと、毎度、水源林事務所の所員や人夫を大勢引き連れ、大名旅行のような山登りだったことがうかがえる。

ところで正道さんのいうところによると、「俺は南北朝時代、後醍醐天皇を奉じて楠正成などとともに北朝方と戦った南朝忠臣の末裔で、そこらの馬の骨とは格が違うんだ。武運つたなく戦い敗れて落ちてきたのが、ここ奥秩父の山の中というわけ」。

下 今はすっかり落葉松などの林に包まれて見通しの悪くなった斉木林道も、半世紀前はこんな有様だった。奥秩父の稜線にしろ大菩薩の山並みにしろ、なにしろ眺めのよい道だった。笠取山周辺については本欄でも「雁峠、斉木林道」「笠取山、つつじ祭」「笠取小屋、笠取山」など多くを書いているので、そちらもご覧ください。(こちらもどうぞ)    
 
(2013.12)

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