笠取小屋、笠取山 
    1978(昭和53)年5月21、22日

これまで奥秩父はほとんど歩いたことがないという織内信彦さんを案内して、金峰山、甲武信岳、十文字峠、雁坂峠、笠取山、将監峠、雲取山などに同行したことがあった。

ご著書の『快晴の山』(茗溪堂/1977)に載る「雁坂峠」「初冬の雲取山と将監峠」「甲武信岳から十文字峠」は、それらの時の1紀行だが、「雁坂峠」にある「北アルプスあたりに打ちこんでいる若い連中に、秩父へ行こうじゃないかと、と誘いをかけても、なかなか腰をあげてくれない。そういうときに、進んで同行してくれる厚意をぼくは嬉しく思った。横山君は、ぼくからみればかなり年少だが、しかし一般的に言えば決して若いという年齢ではない」の「決して若いという年齢ではない」は余計な断りでなくてなんであろう。

ちなみに、その雁坂峠越えは1973年10月のことで、織内さんは61歳、私は40歳の年。織内さんはともかく、こちらはちっとも「決して若いという年齢ではない」ではないじゃないですか。

さて、この「笠取小屋、笠取山」は、以下のように歩いた。塩山から新地平まではタクシー、広川の谷から雁峠にあがって笠取小屋泊、翌日は笠取山を往復した後は鳥小屋から犬切峠経由で落合におり、そこでまたタクシーを呼んで塩山に戻った。織内さんはいろいろ大変な殿様だったが、いまとなれば、みな懐かしい思い出だ。



上 笠取山中腹からの眺め。右下には雁峠の草原、遠くの大きい山は国師岳。

中 笠取小屋。この頃はいくたびにツッカイボウが増えていた。

下 笠取小屋の田辺八千代さんと織内さん。マサミッチャンのおばさんも、今年(2013)の6月2日で米寿ということだ。おばさんには一昨年(2011)10月、ロッジ木曜山行の竜喰山に参加した折、帰りに一ノ瀬によってもらって顔を見ているが、近いうちに、また会いにいきたいと思っている。

(2013.5)                       

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