横山厚夫さんが語るロッジ山旅の山と峠 

      一ノ瀬と牛王院平
(白黒写真は横山撮影・クリックで拡大)

わが家では「マサミッチャンノオバサン」だが、正しくは山梨県甲州市一ノ瀬に住む田辺八千代さんである。おばさんは笠取小屋の番人をしていた田辺正道(まさみち)さんの連合いで、今年86才。昭和52(1977)年に正道さんが亡くなったあと、子供たちがみな都会へ出ていってからもずっと一ノ瀬での一人暮らしを続けている。

もっとも寒さの厳しい冬の間は甲州市の街に住む長男の家におりているが、ほかは山にいたほうが「ずっと安気(あんき)」の由。というのも、おばさんが生まれ育った実家は、今住む家からほんの10分上の二ノ瀬にあるのだから、辺りいったいは森羅万象慣れ親しんで、勝手の違う街中の暮らしよりはなにかと気が楽なのに違いない。

前回、おばさんに会ったのは2008年の7月初め、長沢君たちと石保戸山を歩いた帰りだった。家は開けっ放しだが、肝心のおばさんの姿がない。「どこにいるのだろう」と庭先でうろうろしていると、隣のおかみさんが「今、診療所にいっている。すぐ、この下だ」と教えてくれた。聞くと、日を決めてお医者が街からあがってくるのだそうだ。

車で数分、一ノ瀬川にそってくだると長屋然としたプレハブの建物を見たが、そうとは思わず通り過ぎてしまった。でも、あれしかないと戻ってみれば、やはり、そこが長沢君のいう「野戦病院」そのものの村の診療所だった。

それから3年がたち、今年(2011)10月13日第3木曜のロッジ山旅定例山行が奥秩父の竜喰山と知ったとき、私は願ってもない機会だと思った。往きか帰りに一ノ瀬に車を止めてもらい、ぜひ、おばさんの顔を見てこようではないか。かれこれ50年になる長い付き合いのはて、いまとなっては、この先何時会えるかわからない歳になっている。

その竜喰山は13日だけの日帰りだが、前日の12日も軽くどこかへ登りたい、山は長沢君に見計ってもらおうと小淵沢着が10時近く。すると、前々日からロッジに来ている南川金一さんが加わったうえでの長沢君の提案は「これから入笠山の西側にある高座岩へ大阿原湿原のほうからいってみましょう。一昨日も南川さんとやはり高座岩へ別ルートでいってきたところです」。

こちらは長沢君しだい、この上天気なら、どこへいったってよいに決まっている。おまけに、その高座岩とやらは、お初のところだと嬉しくて、「あぁ、結構ですね」の一言があるのみだ。

そして、その結果は草紅葉の大阿原湿原好し、高座岩の眺め好しの大満足。初めて知る入笠山西側の好展望にも瞠目した。中央アルプスはもちろん、思ってもみなかった御嶽も遠目のうち、近いうちに、この辺をもう一度歩いてみたいと願った。いずれは高座岩再訪と入笠山西面の山岳展望満喫のワンデリングを、このホームページに書く機会もあるだろう。長沢さん、視程の延びる初冬の好日を選んで、なにぶんにもよろしくお願いします。

翌13日は薄曇りで時々陽が差す程度の空模様。「ロッジ山旅」号は総勢9人を乗せて6時の出発。快調に走って柳沢峠を越え、犬切峠を越えての速いこと。私の願いを入れて、長沢君は山に登る前にも一ノ瀬に車をとめてくれた。2、3日前に電話をしておいたので不意の顔出しではないが、おばさんは「午後、山を下りてからだと思ったよ」「うん、あとでゆっくりさせてもらうから」。往きの立寄りは、5分ほどで切上げた。

二ノ瀬の、長沢君なじみの民宿の庭に車を置かせてもらい、三ノ瀬の登山口が9時少し前。現在、将監峠へ将監小屋をへて登る道は小型車を通すために幅広くされて、以前のような興趣はない。そこで往きは牛王院平へあがる山道を歩いていきましょうというのが長沢君の選択だ。これまで牛王院平の道は2、3度歩いてはいるが、みな下るばかりで、登るのは今回が初めてになる。

紅葉はやっと始まったばかり。それでも陽が差したらきれいだろうが、今日はあいにくの曇り空、イマイチの風情だった。
この牛王院平道、登ってみれば、こんなに急なところがあったかしら、こんなに長かったかしらと首をひねるし、登りがゆるくなればなったで、「ずいぶん変わったねぇ」と家人ともどもの嘆声も何回か。以前の細道は防火線状に幅広く刈り込まれて一変し、さらには長く張り巡らされた金網に「ここも鹿の食害か」と驚いた。

尾根上の秩父主脈の縦走路にでて、牛王院平の古びた指導標は記憶のままだが、そこから尾根上に伸びる防火線は初めてで、「ここも昔のここならず」。

当ホームページ「山の掲示板」の「竜喰山」の項に「この山域のオーソリティ横山夫妻をゲストに……」と長沢君は書くが、こうなってはオーソリティなんてとんでもない、浦島太郎もいいところではないか。

本来の縦走路を左下に分けて防火線を登ることほんの数分、眺めの開けた高みにでて、正面には竜喰山が大きい。前景には色づいた木もあって、昼食には絶好の場所と腰をおろした。例によって例のごとくに、おしゃべり半分の楽しい30分。

「僕達二人はここでやめ、一足先におばさんの家にいっています。竜喰山は前に望月さんや大森さん、それに朝日新聞の福原さんたちと登っているから、もういいです。皆さん、どうぞこちらにかまわず行ってきてください。展望抜群のパラダイスのような山頂がお待ちしていますよ(丁度30年前の1981年6月に登ったときは、木立の中で眺めは皆無、なんだこんなところかという至極つまらない山頂だった)」。

ご一行が竜喰山の急な登りをたどっていくのを「ご苦労様な話だねぇ」と眺めつつ、いい加減休んでから腰をあげた。あとは勝手のわかった将監小屋経由の下り道、そう時間もかからず3時ちょうどにオバサンチの玄関を開けた。

おばさんはお菓子をすすめてくれるやら、わざわざキノコやカボチャを煮てくれるやらで、こちらが「もう、そんなに食べられないよ」というくらいに歓迎してくれた。「耳が遠くなった、目が悪くなって針のメドが通らない、手は痛いし、足も痛くてうまく歩けない、いいことないよ」というが、なんのなんの。「おばさん、これだけやっていられれば立派なものだよ。台所だって、きれいなものじゃない」。仏壇の上に掛かる正道さんの写真を見ながら、おばさんと、あの頃のことをいろいろと。それに、昔、笠取小屋で知合った人たちの消息を聞くとすでに何人かが亡くなっていて、「そうか、あの人も」と、やはり年月の推移を思い知らされた。

あれこれ小1時間もしゃべっていると、長沢君の車がやってきて、今回の田辺家訪問は終わりとなった。「おばさん、どうも、ご馳走様。来年もくるから、元気でいてください」。 

山々が新緑に美しい季節、それは5月の半ばになるだろうが、また、この一ノ瀬でおばさんの顔を見たいと願った。それに、ついでといってはなんだが、「田辺家は南朝方落ち武者の後裔、俺ももちろん、その血筋を引いている」と自称する正道さんの、田辺家の紋所「違い鷹の羽」が彫られたお墓にもお参りしておきたい。

長沢さん、またまた勝手をいって申し訳ないけど、その節はよろしくお願いします。


左から富田雄一郎・横山厚夫・藤井晃三・横山康子・岩田健・二瓶尚人・俵一雄・木村久男の各氏     2011.10.13 牛王院平上にて
 
補 記 

1. 「なぜ、この時期に竜喰山を選んだのか」と長沢君にたずねると、「標高が2011.8mで四捨五入すると2012になる、それは来年の西暦と同じ。しかも来年の干支の辰、すなわち竜がつく山名なので、来年は年山として大勢が押しかけるに違いない。そこで今年のうちに早々と登っておくのです」との答えであった。 

2. この約1月半後、計らずも入笠山の西側を探る機会に恵まれた。11月下旬の大快晴の日、長沢君に青柳からあがる道をドライブしてもらい、まず高座岩に登ったあと牧場のなかの高みで昼食にしたが、そこからの展望が素晴らしかった。(展望写真)雪をつけた中央、北アルプスの山々、御嶽などの山岳展望満喫のワンデリングを楽しんで大満足。さらに杖立峠をへてくだる途中では枯木山(1530.5b)の再訪も果たした。この山は山村正光さんのガイドブックで教えられ1992年3月に鏡湖から歩き、金沢峠、千代田湖をへて登ったことがある。ところが、今回、「この辺だろう」と見当をつけた車道脇から登ってみれば徒歩5分のまったく拍子抜けする山だし、山頂は疎林に囲まれてはかばかしい眺めはない。「前は北アルプスも見えたと思うのだが、すっかり忘れてしまったねぇ」と家人と顔を見合わせた。                       

                                       (2011.12)         
                   

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