鳥獣センター〜白山〜羽黒山(荒木大神宮)(甲府北部

冬は甲府盆地周辺の山に出かけることが多いが、それも最近はだんだんと街に近い山になってきた。

このところ甲府の北山をぶらつくことが特に多く、そのあたりのグーグルマップを眺めていたら「荒木大神宮」という文字を見つけた。国土地理院の地形図のその位置には神社記号などないが、地形図に記載がなくとも、市販の地図などに面白いものを見つけることはよくあることである。

調べてみると、羽黒町の北、標高493mの突起がそれらしい。ならばこいつを行程に入れて山歩きをしてみようと計画したのが昨日の木曜山行であった。去年の暮れに緑ヶ丘から片山まで歩いたばかりなので、こんどは鳥獣センターから歩いてみることにする。やたらと短い行程だが、冬はこんなものでもいいだろう。

それでもあまりに時間が余るので、千代田湖南岸の歩道をぐるぐると歩いて、道標未整備のこの山に大まかな破線を入れることにした。

風がやたらと強い日だったが、白山西の眺めのよい岩陰で長く休んだ。南アルプスには雲があったが富士山はくっきりと御坂山地の上にある。

湯村へと続く防火線をたどったのち方向を修正して藪に入る。やがて前方に見えてきたのは石を積み上げた小山だった。登ってみるとてっぺんには石碑や石祠が並んでいた。正面側にはお堂もある。石碑には「荒木大神」と彫られていたから荒木大神宮の名があるのだろう。お堂内にはノートがあって来訪者の名前が書かれているが、同じ人が繰り返し参っていることが多いようだ。

ここからは急な参道が続いており、その道はやがて麓の羽黒大宮神社に至った。そこにあった説明板によると、荒木大神の山は羽黒山または天狗山といい、頂上は積石塚古墳で、この大宮神社のご神体だとか。

ちょうど下り着いたところに新しくできた立ち寄り湯「紅椿の湯」があって、県内のその手の温泉でまだ入ったことがないのはほとんどないが、ここは未入湯だったので、それも今回の山歩きの目的のひとつだった。早々と2時過ぎにはドボンで今週の山行を終えた。

三石山(身延)

山歩大介さんのリクエストで三石山を木曜山行の計画に入れた。富士川左岸の山にはヒルはいないと聞いたのはもうかなり前で、このところ韮崎あたりの山でもヒルの発生を聞くことがあるのを考えると、今ではどうだろうか。いずれにせよ、標高からしてもヒルが出そうな時季に登る山でもない。積雪の少ない地方だから真冬に登るのが正解と2月の計画とした。

木曜山行でこの山に登ったのは11年前で、その記憶はかなり薄れているが(このときのことは私のサイトに横山さんが書いてくださっているhttp://yamatabi.info/yokoyama4.html)、登山道はどうってことないにしろ、登山口の大崩までの桑柄川に沿った車道がすこぶる狭くて急なのがネックになって(地元のタクシーも入ってくれないと聞いたことがある)、また登ろうという気にはなかなかならなかったのだが、リクエストとあれば仕方がない。そもそも富士川下流両岸の山に出かけることが少ないのは、私の食指が動かないからでもあるが、要するに、杉檜の植林が多くて山が暗いことがその理由である。

ところが昨日はその植林地に助けられることになった。というのも、前回と同じく大崩からの往復では面白くないと、地図を眺めて周回コースを設定したのだが、登りに使うことにした、1064.7m三角点(点名丸滝)へと続く尾根に取り付くと、伐採後の灌木がはびこっており、これをこのまま分けていくのではかなわないなあと心配していたら、ほどなく檜の植林地に入って藪は消滅、暗い林だが楽には歩けたのである。そのうえ尾根の上部では間伐作業中で、重機の入る道が拓かれており、かなりのところまではその道をたどることができたのだった。

作業道が終わってもひたすら植林地の登りである。丸滝三角点を越え、か細い径で次の突起をトラバースして町境稜線に出ると南側が広葉樹になりようやく明るい山になった。ヒメシャラなどが混じっているのが南の山らしい。こちら側からの三石山はなかなかの山容をしている。

町境の標識をたどって登り、見覚えのある大岩を回り込むと三石神社の鳥居の下に出た。風もなく暖かく、春を思わせる陽気である。あとは一般路を下るだけだからのんびりとお社の前で長く休んだが、その一般路の鎖場の下りは雪がついてなかなか悪かった。それにしても、そんな急な場所があったことも忘れていたのだからどうしようもない。

大沢崩れを中央に見せる厳しい姿の富士を眺めた後、主稜線と離れて大崩へと下る。杉の葉で埋まった径はすこぶる柔らかくて下りやすいが、前回の記録には「尾根筋が伐採され、思いがけなく大展望が得られた」とあるのが、いまや展望皆無なのが歳月を感じさせた。

大崩の上段の集落では、前回にはそこの住人に断って駐車場を使わせてもらったのだが、数軒の家々にも人けは感じられなかった。畑に犬がいたから、昼間は留守にしているだけかもしれない。下段の集落に置いた車まで車道を歩いた。

帰りは、前にはまだ開通していなかった三石山林道で椿草里に出た。椿草里から富士川まで、椿川に沿った車道は、桑柄川のそれよりは幾分ましで、いつかまた三石山方面に行くことがあれば、こちらから入ろうと思った。

後蔵(小淵沢)

国界橋から戸屋山に登ったのは八ヶ岳南麓に来る前のことで、山村正光さんの『中央沿線各駅登山』(山と溪谷社)を参考にしてのことだった。山村さんの本では戸屋平となっているこの山の麓、平久保池のほとりにはそのときすでにヴィレッジ白州が建設されていて、池のひと気のない幽邃な雰囲気を想像していた私は突然現れた近代的な施設に何だこれはと仰天したものだった。しかし国界橋から平久保池に出るルートはすっかり気に入って、今度は戸屋山とは逆方向へ歩いてみようと出かけたのが2004年の2月、この山の近所に住むようになってからのことだった。

このとき一緒だった坂本桂さんが下山後に白州町の知人に、この1298mの標高点を持つ山の名前を照会したところ、地元では「後蔵」と呼んでいるとの回答を得た。そして、同じくそのとき一緒だった森田光政さんがその名前で紀行文を『山の本』に書いたことで、この山の名前が一般化したのである。ま、一般化とは大げさで、こんな山に登る人は昔も今もほとんどいないのだが、最高点には誰の手によるものか「後蔵」と書かれた山名標がもうかなり前にはつけられているのだから、森田さんの書いた文章が物好きの目に留まったのは確かである。

一時期この山にせっせと出かけていたことがあって、たわら写真集にもそのひとコマがある。http://yamatabi.info/tawara-20041226.html もっとも最近はとんとご無沙汰で、久しぶりに登ってみるかと木曜山行の計画に入れたのだった。私にとっては7年ぶりとなる。

前日に降った雪が標高1000mあたりから上には残っていて、ラッセルというほどのこともない、歩くにはちょうどいい深さだった。ことに下りは快適で、3月になって今年初めての雪山気分を味わったのだった。後蔵の頂稜はカラマツが多いのがちょっと面白くないが、それでもところどころでは広葉樹の広い平もあって、さまようがごとくその中を歩くのは楽しかった。

そして下り着いたところが白州の温泉で、今年になって3度目の温泉ドボン山行であった。

桑原山(南大塩)

去年以来、霧ヶ峰の南側を歩くことが多い。今年に入ってからも、永明寺山や吉田山など、その勢いは止まらずで、昨日の木曜山行も、その付近をさらに探索してみようと計画したものだった。

地形図を等高線だけに注意して眺めると、車山から南に張り出す稜線で最長のものは、諏訪市と茅野市の境界にほぼ沿った稜線だとわかる。その南端にあるのが永明寺山で、ここのところ、もっぱらその北東側を探っていたのだが、昨日は北西側を探ることにしたのである。

霧ヶ峰に行くときのほぼ100%は甲州街道から池のくるみに通じる車道を使う。その車道に入ってすぐ、桑原城入り口の標識を横目に見る。霧ヶ峰へは数えきれないほどこの道で通ったが、桑原城址には一度も登ってみたことがなかったので、この城址を見物したのち、北東に尾根をたどって、永明寺山の北方稜線まで達してみようと考えた。

このあたりの山並みは下界から眺めるとまるで平坦で、突出したピークがなく目標を定めるのが難しいが、その中では1172mの標高点を持つピークが少々目立つので、そこを目標にした。山歩きは目指す頂上がないと画龍点睛を欠く。もっともその後ろ側の稜線のほうが標高は少し高い。

桑原城址は公園として整備されており、城址の南北から歩道が通じていた。ふたつの台地になった頂上はそれぞれ小広い草地になっており枝ぶりの立派な松が数本あるのがいかにも古城の跡らしい。諏訪湖方面の眺めがよかった。

城址からは稜線を忠実にたどったが、藪もなく歩きやすい。途中、地形図にない作業道や林道には少々惑わされるが、まあ登りは簡単である。滅多に車が通りそうもない林道の陽だまりで昼休みとしたのち、目標としたピークに登ったが、特記するほどのこともない場所だった。

下りにとった尾根は間伐されて地面に放置された木で歩きにくかった。沢を渡り林道をたどり、最後は適当に鹿道を拾って、無事桑原城へと帰り着いた。城址から双眼鏡で山々を眺めていたら、またしても面白そうなところを発見、わざわざ遠くへ行かずとも、身近に知らぬところがいくらでもある。

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