御前山(塩山

今年は最初の木曜日が7日になって、ちょっと新年初詣登山としては遅くなってしまったが、すでに世間は新年気分が終わっているのに、こちらは山で新年を祝って酒を飲むというのも悪くはない。

ここ数年の新年山行は、ほとんど山は歩かずに済ますことが多かったので、今年は少しは歩くことにした。目標の山は棚山南東稜の776mピークで、名前がわからなかったので仮に妙見山としておいたが、家に帰ってから調べると御前山というらしい。山城があったという。
http://www.geocities.jp/sisin9monryu/yamanasi.yamanasi.html
http://www.fukata-club.jp/mtomoide/2015/95/mtomoide95.html

この山の中腹にある神社は妙見尊で、それが仮称の理由だったが、物見台のような建物が残っていて、盆地の眺めが恐ろしく良いのは去年の4月に行って確認してあった。富士山も見える。そこでここを参拝後にお借りして宴会をしようと思ったのである。

夕狩沢を登って背後から御前山に登頂した。大岩の累々とした頂上だったが、かつての遺構らしいものはなかった。その手前に、道が稜線を越えているように見える部分があったが、どうも堀切の跡だったらしい。

急な斜面を落葉を蹴散らしてなかば滑り落ちるように妙見尊にたどり着く。参拝後はお待ちかねの宴となり、それぞれが持ち寄った美酒美食が並べられた。

それにしてもこの建物は何に使われたものか、背後は岩の絶壁になっていて、古人はこういったところを神の坐すところとして尊んだのだろうが、その岩の上に社殿でもあって、今残っている建物は神楽殿的な意味合いがあったのかもしれない。天井や柱にはおびただしい落書きがあるが、昭和30年代以前のは見当たらず、さほど古い建物ではなさそうである。落書きを調べると、昭和40年代くらいまでは訪れる人も多かったらしい。建物の前の木々が伐採されたのはごく最近である。

下界を見下ろしながらの宴席が古来何度もここで開かれたことだろう。我々もその歴史に加わって3時間もの時を過ごし、おおいに気宇壮大になったのである。

王岳南稜・吉澤巌(河口湖西部)

社会人になって間もないころ、大学の出身ゼミが西湖の民宿で夏合宿をした。まだ顔見知りの後輩がいたし先生とも親しかったので、夕食後の自由時間に乱入した。女子学生が多かったから、要するにそれが目当てである。

さんざん飲んで騒いだ翌朝、民宿の洗面所の窓から、ところどころ岩の露出した険しい山がまだ酔眼朦朧とした目に映った。当時は山歩きをしていなかったから山の名前などに興味はなかったが、御坂山地の河口湖に面した、わりと穏やかな山容しか普段見ていなかった私は、同じ山地でも随分雰囲気が違うなあと思った。御坂山地は西湖に面した十二ヶ岳から王岳にかけてがもっとも切り立っていて険しい。

その後、山歩きをするようになって、その民宿から見ていたのは王岳南稜だと知り、ひときわ目立っていた岩峰が吉澤巌という名前だったことも戦前のガイドブックを読んで知った。

王岳にはさんざん登ったが、王岳南稜から根場へ下る径があるのはずっと知らないでいた。これを使えば根場を基点に王岳登山の周遊コースがとれると、木曜山行で出かけたのは7年前だった。http://yamatabi.info/tawara-20081204.html
南稜から根場へはおそらく吉澤巌の北の鞍部から下るのだろうから、ついでに岩のてっぺんを往復してこようと思っていたのだが、そのずっと手前で径は稜線を離れて下りだし、結局吉澤巌には登らずじまいになってしまった。

縁が結べないまま年月が流れ、やっと今回の計画である。王岳南稜はすっきりと延びた私好みの尾根だから、根場から吉澤巌に登ったあとこれを末端まで歩いてみることにした。

去年知り合ったキレット小屋のKさんが泊まりがけで遊びに来てくれ、ちょうどその翌日が木曜日で、それならと山行にも参加してくれることになった。オフシーズンにはヒマラヤやアンデスに出かけているというKさんだが、たまにはこういった山もいいだろう。

富士山が見えてこその山域だが、天気は最高だった。7年前に下ったはずの登山道の様子はまったく記憶にない。ほとんど一般登山道といってもいい径である。王岳の100m下で稜線に出て吉澤巌へは下ることになる。

もう少し簡単な道筋があるのかと想像していた吉澤巌は、立木を頼りによじ登るしかなかった。その頂上からは展望はすばらしく、最高の天気の日に懸案のピークに立ててうれしかった。狭いので5人がゆったりと座るわけにはいかないが、それでもこの展望である、1時間近くをそこで過ごした。

南稜の下りには、古い林道に出るまではしっかりした踏跡があったが、そのあとはか細くなった。4等三角点を見ると尾根は青木ヶ原の溶岩の押し出しにぶつかって終わる。ここでの地面と植生の激変は実に面白い。

浅間山から桜峠(市川大門)

今週初め、おととしほどではないにしろ、私がこの地に来てからは、それに次ぐような積雪となった。まったく無雪の状態から一晩で40センチも積もったのには驚かされる。翌晩にもさらに15センチぐらい積もった。もっとも寒い時期の積雪だからちっとも融けず、私の近所では車同士がすれ違うにも苦労するし、別荘地の道は雪かきが追いつかないから、歩けるところも限られている。

今週の木曜山行の滝戸山は、林道が通行止の間にきちんと下から登ってみようという計画だったが、それは雪がほとんどないことを前提にしてのことだった。これだけ降れば御殿滝まで車が入りそうもないし、となると標高差800mをラッセルして登ることになる。

これではとても無理なので、ぐっと標高を下げて浅間山に登ってみることにした。桜峠から西の稜線は私も初めてで、桜峠あたりではかなりススキが繁茂していて踏跡も不鮮明だった記憶があるが、冬枯れの時季ならさほどでもないだろう。それでも念のためにとネットで調べてみると、ここ数年、この稜線でトレランの大会が開かれているという。なんだ、それなら何の問題もない。磁石で方向を確かめるようなトレランの大会などないからである。それにしても最近は風当りが強いから、登山者の少ないこんなところにコースを設定するしかないのだろうか。

市川大門のWさんがこの計画を知って久しぶりに参加してくれることになった。聞けば雪の降る直前にも登ったばかりだというので恐縮なことだが、はるばる八ヶ岳から自分の地元の山へ来てくれるのだから放ってはおけない、豚汁までごちそうしてくれるというのでさらに恐縮する。これぞ「おもてなし」である。

市川大門まで下ればさすがに雪などないだろうと思っていたのは浅はかで、目指す山は真っ白だし、車道にもまだ雪が凍り付いて残っていた。これではとても滝戸山というわけにはいかなかっただろう。

歌舞伎公園からは、案の定まったく問題のない径が通じていた。動物の足跡しかない雪は適度に締まっていて歩きやすい。ところどころで重い雪に倒れた竹に邪魔されるのはこのあたりの山らしい。

浅間山が近づくと西側はすっかり伐採されていて大展望まで楽しめたのは意外な収穫で、径も良く展望も良くで、これなら誰もが簡単なハイキングを楽しめるだろう。

無風快晴の浅間山だった。眺めのいい雪原に陣取って、真っ白の南アルプスや八ヶ岳を眺めながら、Wさんが自家製味噌でつくったという熱い豚汁をごちそうになり、長く過ごした。

桜峠からは旧道を下ってみる。倒木で大変なところもあったが、径形ははっきりしていた。ゴールはみたまの湯で、移動もせずに入浴なんて珍しい。露天風呂からもまた大展望を楽しんだ。山梨県一の展望風呂である。

恩若峯(塩山

先週に引き続いて雪のよる計画変更で、大沢山を恩若峯にした。大沢山は北向きの登降の標高差800mで、しかもこの積雪以来入山者があるとも思えないのでラッセルを伴うだろう。我々の力ではこれではちょっと無理だと踏んだのである。結果的にそれで良かったと思う。

恩若峯は過去2度とも勝沼から塩山へと歩いたから、今回は電車を利用して逆コースにしようと思っていたが、犬連れで行くことにしたので、それなら電車というわけにはいかない。自転車で車を回収する都合上、どうしても勝沼から歩くことなる。

恩若峯南西尾根は6年ぶりで(http://yamatabi.info/2010b.html#2010b4)、6年前にはまだ伐採したばかりの場所が何箇所もあって展望が楽しめる尾根だったのが、さすがに樹木が伸びていて少々眺めを隠し始めていた。それでも、この手の藪山にしては展望が楽しめる稜線歩きである。

雪の上には動物の足跡が入り乱れていたが、人の足跡はなかった。小なりとはいえど、いくつものコブを越えていく縦走で、意外に時間がかかって頂上に着いたのは1時を過ぎていた。頂上は暗くて面白味のないところなので、いったん下った陽だまりで昼休みとした。

去年の黒富士、信玄棒とご一緒したアメリカ人のWさんが昨日も一緒だったが、こんな山に登ったアメリカ人はひょっとして史上初ではないかという話になった。証明しようはないが、過去にあったとしてもわずかではあろう。

アメリカ文化の話、シベリア横断鉄道に乗ったときのロシア人の印象などなど、塩山の裏山ではなんとも場違いな話題で盛り上がったのち、藪径を一気に里へと下った。

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