46.吾妻小舎、鎌沼  2006(平成18)年8月29日

吾妻小舎の遠藤守雄さんと雲取山荘の新井信太郎さんは、その昔、上野の松坂屋で催された「夏山相談会」に出ていて親しくなり、それぞれの山小屋へ行ってみたいといっていた。それならと、こちらが同行して、まず、遠藤夫妻と雲取山に登った。1984年12月7、8日のことで、奥多摩側の鴨沢から登って雲取山荘泊、翌日は秩父側の三峰へくだった。冬は山をおりて暇になる遠藤さんとは異なり、新井さんは一年を通して山にいるので、なかなか遠くへ出て行く暇がない。吾妻小舎へ行くのも延び延びなり、それから22年後の2006年になっての訪問となった。東京勢は大森久雄、三好まき子、泉久恵の諸兄姉と横山夫婦、それに仙台からの五十嵐雅子さんが加わった。小舎にあがって昼食を終えたあと、鎌沼を一周した。鎌沼は浄土平から一段あがった姥ヶ原の一角にあり、その周辺は“仙境“そのものの別天地である。四季それぞれの装い美しく、晩夏のこの日も「あぁ、いいところだねぇ。また、きたいねぇ」の一語に尽きた。皆さん、気分よろしく岸辺の散策。新井さんが感に絶えかねたように云う「雲取にも、こんな水辺があれば、もっと人が来るのに」には大笑いだった。

また、夜は夜で、遠藤、新井お二人の山小屋経営談義が弾んだが、新井さんが「1ヶ月800人ならまぁまぁ、1000人来てくれれば楽なのだが」と云うのを聞いて、遠藤さんは「うちは1年800人にもならないよ」と目を丸くしていた。


 写真上 
 
鎌沼の向こうに一切経山が見えている。この辺り、私の“シャングリ・ラ“であり、沼は一周小1時間、文字通り鎌の刃の形をしている。ちなみに標高は吾妻小舎約1580b、鎌沼水面約1720b、一切経山1948.8b。

写真左下

吾妻小屋にて  左手前から右回りに 五十嵐、新井、三好、大森、遠藤、泉の諸兄姉と横山。
 
補記 遠藤さんは2011年4月に亡くなった。享年61才。三好さんは昨年の2019年1月に亡くなった。享年63才。日本山岳会会報『山』2019年5月・888には大森さん記の「追悼 三好まき子さんを悼む」が載っている。遠藤、三好さんはともに私にとっての長い間の得がたい友人だった。その早世は惜しんでも惜しみきれない思いだ。
  (2020.5.25)  
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