1.銀太郎山、銀次郎山
  1983(昭和58)年4月26~28日

私の山の写真は多少の重なりはあるものの、モノクロフィルム時代30年、カラーポジフィルム時代30年、そして、その後の今日までのデジカメ時代7年の3つの時代に大きく分けられる。

本欄の「その1」「その2」にはモノクロフィルム時代の山行を載せてきたが、それも種が尽きた。そこで、これからはカラーポジフィルム時代の山行を「その3」として、載せて行くことにした。ただし、ポジカラーを使うようになったのは1980年代の前半からなので、それほど「古い」というわけにはいかないことをお断りしておかなくてはならない。

さて、この銀太郎山と銀次郎山は新潟県五泉市にあって、1106㍍、1054㍍の山である。本欄「その2」の「藤里駒ヶ岳」で村松町にお住まいの笠原藤七さんのことに触れているが、その笠原さんの自家薬篭中の山といってよい。ご著書『川内山とその周辺』にも銀太郎山は五劔谷山脈の中心的存在として述べられている。

寺田政晴君にテントを持ってもらっての2泊3日、残雪の季節に出かけた。今は五泉市になっているが、当時は中蒲原郡村松町で、蒲原鉄道も加茂から村松を介して五泉までの全線が運行していた(現在は廃線)。

6日は「佐渡1号」でたち、加茂から蒲原鉄道に乗って村松へ。そこで、まず駅前タクシーに「笠原さんの家」といえば、さすが山持ちの大旦那だけあって、ちゃんと大邸宅に横付けしてくれて、「たいしたものだなぁ」。山の具合を詳しくお聞きして「それでは」となれば、「おっほん、気をつけてお出掛けなさい」と、まるで私たちがエベレストへでも行くような丁重なお見送りだった。



上 これは銀太郎山、銀次郎山を写したものだと思う。

中 この年は例年よりも雪が少ないと笠原さんはいっていた。銀太郎山へ続く尾根筋でも雪が途切れ、密生する潅木と格闘しなくてはならないところが何箇所かあった。1日目の尾根は木六山に登るまではほとんど雪がなく、なかなか、これはというテント場には行き着かない。なにしろ、水が得られる雪がでてこないことにはどうしようもなく、「まだか、まだか」とぼやきながら登っていったのを覚えている。午後も6時近く、木六山の頂上に登りつくと、やっと「ここがいいよ」の幕営地だった。

下 蒲原鉄道は単線で、この七谷駅でも交換があった。 

(2014.4)

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