おとみ山ゆかりの地を訪ねて~恵那・笠置山 (切井

ちょうど1年前、すがぬまみつこさんゆかりの地を訪ねる山旅をした。これがとても良くて、参加者ゆかりの山や土地を訪ねる山旅もいいなあと考えるようになった。知らない誰かではなく、親しい山仲間のエピソードで山旅が充実するのを知ったのである。

さて、今度はとなると、ご常連中のご常連、おとみ山に登場してもらわないわけにはいかない。これには、好都合といっては変だけれども、私が以前から目をつけていた山、すなわち、名古屋へ帰省するとき、恵那山トンネルを抜けて岐阜に出ると、文字通りの実におおらかな山容が嫌でも目立つ笠置山が頭にあったからだった。

この山を望む恵那の地におとみ山の親戚があって、その家におとみ山が小学生から中学生にかけて疎開していたのを聞き及んでいたのである。これを生かさない手はない。

ちょっと行ってくるには難しい距離の笠置山、しかし1泊してまで登るにもちょっと、という山だから、おとみ山にそんなエピソードがあるなら一石二鳥、合わせ技1本というものである。

こんな自分の興味が半分以上もあるような計画に、乗ってくれる人が7人もあったのはありがたい話で、しかもそのうちの3人はごく近い名古屋から泊りがけで参加してくれるというのだから、なんだか申し訳ないようだった。

初日は晴天でよかったとはいうものの、そのせいで暑く、まとわりつく虫や、そして整備されすぎの階段続きの登山道に閉口しながらも無事登頂した。帰りにはその階段で下るのは真っ平ごめんと迂回する車道を歩いたが、それがすこぶる長かったこと。でも途中にあった展望台では、恵那市街が一望でき、それまで展望には恵まれなかったので溜飲を下げた。

しかしそんなこんなもあとになればいい思い出である。夜はホテルの近くの、これもおとみ山ゆかりの和食店で、豪華絢爛の宴会が楽しかったのも、昼間の苦労があったればこそである。

おとみ山ゆかりの地を訪ねて~恵那 (恵那)

2日目は、おとみ山の疎開先に近い名も知れぬ裏山でも歩いてみるつもりでいたが朝から大雨になった。しかし前日の笠置山で、もう今日は山はいいでしょうという気分になっていたから、さほど問題ではなかった。まずはおとみ山の通った小学校を訪ね、疎開先の周辺まで行ってみたあと、日本三大山城、岩村城の城下町に行って、昔の街並みを傘をさして歴史&グルメ散歩をした。

雨が強すぎて山城跡までは行かなかったが、また、そこだけに行ってみてもいいなと思わせる魅力がある場所だった。

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おとみ山の疎開した家は今はもうないが、そのすぐ近くに従弟が家を建てて住んでいるという。そこで、その住所を教えてもらって場所を調べ、近くの裏山を探るつもりでいたのは大雨で断念した。

帰ったのち、国土地理院のサイトから昭和22年に米軍の撮った航空写真を見つけ出した。これを見れば見るほど興味深く、現在の地形図や航空写真と照らし合わせて、おとみ山のかつての疎開先を特定しようと数時間にらめっこした。

現在と道が違うのは当然だし、山が崩されて宅地になっていたり、逆に山の上まで耕してあったりしてなかなか難しい特定だった。

結局、これらのどれかだろうと3軒を特定し、おとみ山に照会したところ、やはりそのうちの一軒だった。これらの航空写真は無料で見られるのでも相当な解像度だが、有料で原版と同じものを手に入れられるらしく、それはその数倍の解像度だとか。表で遊んでいるおとみ山も写っているのではないかしら。恐るべし米軍。
八千穂高原(高野町・松原湖・蓼科)

調べてみたら2019年以来、毎年必ずこの時季に八千穂高原に出かけているのだから、今年で5年目となる。なぜかと言われたら、まずはコゴミの収穫に、ということになるけれども、ただコゴミを摘みたいだけなら車で行けるような場所を他にも知っている。ちょうど八千穂高原がもっとも新緑の美しい季節に、山歩きをからめて楽しめなければ、こうも毎年のようには出かけないだろう。

階段上り&車道歩きだった笠置山の疲れが足にまだ残っているというおとみ山とふたりなので、今年は歩行時間が少ないルートを使うことにした。八千穂高原に至る車窓からの新緑は、なんとも美しいグラデーションである。

ここ数年、伐採作業がこの界隈でも盛んで、無残に土の色を見せていた山肌も、かなり緑を回復していた。その伐採地に通じる作業道を登っていくと、植えられた落葉松も丈はまだ低いから、展望は抜群である。

このルートにも途中でワラビ畑があるのを知ってはいたが、別に期待はしていなかった。4月の金ヶ岳山麓でワラビ収穫欲は満足していたし、コゴミ畑から下る途中にもワラビがあるのを知っていたから、摘みごろのがあれば摘むくらいの気持ちでいた。登る途中で収穫すると、それを担いで登る羽目になる。

ところが目の前に現れたのは、めったに見ることのない国宝級のワラビの林で、しかも今しも摘みごろときていた。今年はワラビの当たり年かもしれない。こんなに太くて長いのは、もうワラビーとは言えない、カンガルーである。さすがにこれは看過できない。せっせと収穫に励んだ結果、えらく肩の荷が重くなってしまい、このルートの最後に現れる丈なす笹薮を分けての登りは、身軽ならご愛敬にすぎないが、少々苦しい登りになった。

そしてたどり着いたコゴミ畑、今年の季節の移ろいの早さでは少々遅いかもしれないと思っていたのは、たしかにその通りではあったが、まだまだふたりで収穫するには充分以上の摘みごろのが残っていた。収穫したワラビとコゴミを家に帰って量ってみたら合わせて5キロもあったのだから、こりゃザックが重かったわけである。




和田峠山(霧ヶ峰)

木曜日に雨マークがついたので早々と水曜日に前倒しした木曜山行だったが、近くになったら木曜日でも日中は何とかもちそうな予報に変わってしまった。

時すでに遅し、でも前倒ししだだけの好天にはなった。好天となれば、低い山ではもう暑いだろうから行先は中信高原である。目につくところは行き尽くした感のある中信高原でも、前々から目には留めていたものの後回しにしていた山があった。それが最近気になりだしたのは、ここのところ和田峠付近をうろついていたからである(4月の新和田峠探訪)。

目的にしたのは、旧和田峠の南東にある1657mピークである。一方、新和田峠はこの山の真東にあって、つまり、新旧和田峠にはさまれたピークだから、名付けるなら和田峠山となるだろう。誰もが同じことを考えるらしくて、昨日てっぺんに立ってみたら、「和田峠山」と書いたテープが木に張り付けてあった。しかし、これは旧峠からの連想で名付けたはずで、この山の東に新峠があったのを知っていたわけではあるまい。

昨日は、新峠からこの山に登り、旧峠へと下る周回コース設定をした。ま、地形図を眺めたなら、だいたい想像できるとおりのコースである。つい1週間前には鳴き始めだったハルゼミがもう大合唱になっていた。例年なら花盛りだろうズミは、今年はまるで花が少ない。

勝手知ったるこのあたりのこと、楽勝だとばかり地形図をろくに見ないで進んでいるうち、どうも周囲の景色がおかしいと思って調べると、まるであさっての方向に進んでいたのだから油断大敵である。もっとも、これはいずれ歩いてみたい方向ではあった。怪我の功名で下調べになった。それと、間違って入った先には、さすが本場だけあって黒耀石がゴロゴロしていたのは、好きな人にはうれしいだろう。

10時に歩きだし、ロスタイムがあったとしても、ちょうど昼時には頂上についたのだから、最近では毎度のお気楽コースである。誰もいない頂上で、四囲の景色を愛でつつ長く休んだのは言うまでもない。

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