兜山(塩山・甲府北部

火曜日は春には珍しいすっきりとした青空で、お客さんと甲府盆地に花見に出かけたら、桜はそろそろ散り始めとはいうもののまだ見頃といってもよく、桃の花は各所で満開で、文字通りの白峰三山を背景に、甲州の春ここに極まれりという感じがした。

明くる水曜日が4月には珍しい大雪で、また木曜日が快晴になるというのだから天候の激変ぶりといったらない。花に嵐ならぬ雪とはまた面白い、これで晴れるなら桃源郷のまわりが雪景色という、滅多に見られない風景が見られるだろうと思ったらそのとおりになって、兜山の計画は願ってもない日に当たったわけである。

この時季には桃源郷を巡る山々に登るのが長年の恒例となっているが、桃源郷がそれらしく見えるのはせいぜい丘陵くらいの高さからである。だから、山というよりはその行き帰りの行程で甲府盆地の春を味わうことになる。

さすがにもう降らないだろうとタイヤは夏用に交換してあったから、降雪後の冷え込みで凍った雪に、車を出すのに少々苦労させられたが、大通りに出たら夏タイヤで問題はなかった。高い山が白いのは当たり前だが、今年は雪が少なかったから、中低山は今年初めてといってもいいくらいの雪化粧である。

兜山は三角点信仰の典型的な山で、頂上でもないところに山頂標識がある。そこで今回は三角点やその近くの展望台は無視して、直接最高点に登ろうと思った。当然、一般コースを避けて夕狩沢からである。

夕狩沢は上級者向けと入口に標識がある。来るたびに荒れてきており、標識も朽ち、マーキングも薄れているからますます上級者向けかもしれない。沢沿いに歩いているうちは何とかなるが、難しくなるのは林道が錯綜するようになってからである。もっとも、今どきはGPSを持っている人が多いからどうってことはないか。

今年初めての新緑を味わいながら夕狩沢を遡った。林道に合流した後、棚山分岐からわずか、三角点方向へ向かう道を見送って、作業道を登っていった。やがて道がなくなるとヤブを漕いで急登する。途中、大岩の上からは展望が開け、奥秩父や大菩薩が真冬にはまったく見られなかった白い峰々を連ねていた。

稜線に出たところがすなわち頂上で、かつては踏跡しかなかったのが、しっかりした径が通じていた。しかし最高点を表すような標識はまるでなかった。標識をつけたがる人も三角点信仰者ということか。

陽だまりで昼休みをしたのち岩堂峠方面への径を下ったら伐採地に出て富士山がすっきりと眺められた。そのまま伐採地を適当に下って沢沿いの林道に出る。あとは山裾を回って起点に戻った。要するに兜山をぐるり一周したということになる。この時季の兜山だから他の登山者も少しはいるかと思っていたが、誰ひとりと出会うこともなかった。

せっかくここまで来たのだからと、帰りには盆地一周ドライブをして、甲州の春の風景を満喫した。

御嶽山(諏訪)

北アルプスを望む公園、城山公園、アルプス公園、芥子望主農村公園の3つをつないで歩いてみようという計画は、それらの公園が桜の名所であるところから、その開花具合と、何より展望が楽しめるような好天が、わざわざ遠くまで出かける条件となる。

しかしそれらの条件は揃ったというのに、肝心の人数が集まらなかった。まあ、この行程は公園内の舗装路歩きがほとんどで、山歩きが目的であればいささか面白くないためであろう。そこで、この計画はまたの機会とし、前々週に行った、諏訪の裏山をまた探ることにした。

これには、この魅力的な山域に、すぐにでもまた出かけたいなあと思っていた私自身の興味と、さらに、前回にはまったく開いていなかった西山公園の千本桜がそろそろ見頃ではないかという期待もあった。参加の皆さんにはこちらの意向に無理やり合わせてもらったことになる。

大泉の谷戸城近辺では桜がすでに散り始めているというのに、さほど標高の変わらない西山公園の桜は、品種によっては咲いている木があるものの、千本桜はまだ2.3分咲きということころだった。道中の桜も満開には早く、諏訪地方の寒さが思われた。

前回の唐松峠山では、もともと下るつもりでいた稜線との鞍部に唐松峠の標識を見、ならばとその峠道を下った。峠道が林道に突き当たったところに、地形図には記号のない御嶽神社があって、その鳥居をくぐって続く山道がすなわち下るつもりであった尾根の末端だった。鳥居のあたりには多くの石碑があって、急坂の山道を見上げると点々と石碑が続いている。おそらくその先にお宮でもあるのだろうと思った。

さて、今度はその鳥居をくぐって未踏の尾根を登ってみようと出かけたわけだったが、近くまで来ると何やら人が大勢いて、折しも神事が行われている最中だった。滅多に人の訪れはなさそうな場所だが、地元の人に今でも大切にされている神社なのであろう。よそ者がそんな最中にお邪魔するのもためらわれ、鳥居をくぐって山に入るのはあきらめて、少し先から尾根に取り付くことにした。

ケモノ道を伝って稜線に出た地点はまだ参道の続きで、多くの石碑や神像が点々とあった。明治時代のものらしい。それらを見ながら登り着いた小突起には立派な石組みで守られたお宮があった。本来なら神事はここで執り行われるのであろうが、年寄りばかりではちょっと登ってくるのも大変であろう。我々が代わってお参りした。

お宮のある突起を越えると、明るく美しい尾根が続いていた。前回の唐松峠山の稜線も良かったが、ここのほうがより自然林が残っているように思った。

頂稜に出ると、伐採後の灌木のうるさいところもあった。葉が茂ると厄介になるだろう。車道の越える中峠を横切って1276mで昼休みとした。暑くも寒くもなく、実にのんびりとした気分である。

東に下って本峠(北峠)を横切り、この日の最高点1282mを踏んだのち下ったが、この手の山は下りが難しい、少々行きつ戻りつしながら行きがけに歩いた林道に下り着いた。

暖かい日だったので、山に登っている間に千本桜がかなり開いてきていた。来週初めには見頃になるだろう。

なお、御嶽山という名前は、西山公園内にある絵地図によった。

白山~甲府の北山を歩く(甲府北部)

富士五湖地方に住んでいたころ、いち早く新緑を楽しもうと4月には甲府の北山を訪れることが多かった。同じく春の遅い八ヶ岳南麓に住むようになってからも思いは同じで、木曜山行でも何度も歩いた。

甲府の北山は麓から広葉樹の雑木林に覆われているのが何よりの美点で、そこに武田の杜の歩道が整備されているのだから贅沢である。東は愛宕山あたりから西の片山まで、歩くコースには事欠かない。甲府の街は同じく山都の松本と較べると残念ながら歩く魅力には欠けるが、松本には甲府北山の歩道のような気の利いた山道はない。甲府市民は誇るべきであろう。

今年は甲府が開府500年の節目だという。そもそもの甲府の発端は、武田信虎が、盆地を睥睨する高み、躑躅ヶ崎に、背後の北山を天然の要害として館を移したことによる。その当時の人が見ていたのと少なくとも山の形が変わらないことを思うと、ここを歩く興趣も深まろうというものだ。

数日前までは雨マークがついていた予報が昼間は晴れると変わった。その代わり甲府では30度にも気温が上がるという。たった5日前に片山へ向かう際に車窓から見た山は新緑に山桜が混じった淡い色彩だったのが、すでに山桜は散って緑はやや濃くなっていた。

白山の白イワカガミを見に行こうというのが計画の主眼だったが、それだけなら歩くには短すぎるというわけで、鳥獣センターを基点に武田の杜の歩道に寄り道する周回コースを設定した。

道端には小さな花々がたくさん咲いていて、そのたびに立ち止まっては観察するので歩みは遅々として進まなかった。折しもイチリンソウの群落が盛りだった。山桜は散っていたが、代わってアオダモの白い花穂が至るところでたわわだった。

中峠で昼の休憩をしたのち、がぜんヤブになった稜線を登るとそのあたりから白イワカガミが現れだした。倒木が多く、一般コースとは言い難い。

和田峠の車道を横切って白山の一角に入ると、そこここに白イワカガミがあって、しかしちょっと盛りを過ぎて落花しているのが多かった。同じ山塊だというのに、八王子山から湯村山への稜線に入ると、あれだけどこにでもあったこの花がまったくなくなってしまうのだから不思議である。

眺めのよい露岩の上に立つと、太宰治がシルクハットの底と形容した甲府盆地の向こうに午前中には雲の中だった富士山が現れていた。30度になると脅されていたが、それほどの気温にはならなかったらしい。ほどよい汗をかいて出発点に戻った。

鳥井峠東稜線(若神子・谷戸・瑞牆山・茅ヶ岳)

足和田山から三湖台への稜線は、傾斜のゆるい下りが続く、実にのんびりと歩けるハイキングコースだが、どういうわけか冬にばかり出かけていて、想像するだに新緑は美しかろうなあという樹林の様子を知っていながらその時季には出かけたことがなかった。

そこで連休後でいささか疲労がたまっているときには最適かと思って計画を立てたが、いかんせん富士五湖地方まで遠征するほどには人が集まらなかった。まあ、それならそれで地元で選択肢はいくつもある。ちょうどロッジ山旅あたりの新緑がきれいなので、標高1000m内外の山を物色して、鳥井峠東稜線を思いついた。

これは7年前の紅葉の時季に木曜山行で出かけてhttp://yamatabi.info/2012j.html#2012j2、その紅葉が良かったのだから新緑もきれいに決まっている。新味を出すために前回とは下り方を変えてみることにして出発した。

この稜線にはかつての江草村と増富村の村界があって、当然そこには径があったわけで、今でもその痕跡がいくつも見られる。昨日は歩き始めてすぐ、足元に寛永通宝が落ちていた。滅多に人が歩くこともないのにまったくヤブを分けるような部分がないのは、このあたりの山の美点だが、それにしてもここは特別で、道標さえ設置されたら立派なハイキングコースになってしまうくらいの歩きやすい尾根である。テープの類がまったく見当たらないのも好ましい。これを読んで行ってみようという人も、万が一にもつまらぬ親切心を起こさぬようにしてほしい。

あくまで柔らかい地面を踏んでのんびりと新緑の中を登っていった。ところどころでヤマツツジが満開になっていた。今日はここから下ってみようという場所に目印を置いて、栗屋峠の三角点まで往復することにした。その三角点峰の手前の突起を登っていると行く手の空がやけに明るい。登り着くとそこから先は大伐採されて、丸山から横尾山、瑞牆金峰までがずらりと並んでいた。もうほとんどの作業は終わっているようだが重機が一台動いていた。いずれ植林されるのだろうが、それらが育つまでは景色が楽しめるだろう。もっとも、ここまでやってくる人は滅多にはいまいが。予期していなかった展望を楽しむことにして早めの昼休みとした。

作業中の横を歩くのも気が引けて、栗屋峠の三角点に行くのはやめ、いったん戻って下りだしたが、複雑な地形で方向を見誤って思った地点に降りられなかったのはちょっと残念。しかしそのおかげで途中で山菜をたっぷりと収穫できたのはケガの功名というものだった。

いつもは車で通過するだけの比志の集落を歩いて車に戻った。歩くといろいろのものが見える。ついでにこれも案内板を見ているだけだった比志神社にも参って、天然記念物の大杉も見物した。

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