オソネ(居倉

「オソネ」とはまた変わった山名だが、出典である『奥秩父続篇』の著者原全教はその由来には触れていない。オソネは秋山側の呼称で、相木側では「澤又の頭」と呼ぶ由。

初めて登ったのはもう13年前で、『山頂渉猟』の南川さんに同行してのことだった。頂上南側のミズナラ林の雰囲気が良かったのを覚えていただけで、それ以外はほぼ追憶の彼方であった。

まず滅多に知る人がいない山に、宿泊してまで登ろうという人がふたりもあったのは驚きで、それにご常連も珍しく顔をそろえ、総勢7人という、昨今珍しい人数となった。皆さん、オソネに備えて早寝をしたという。

麓のカラマツがかろうじて色を残すのみの千曲川最上流である。晴れてはいても寒々しい。雪の来る前に土づくりをするのだろう、たい肥を積んだトラクターが多く行きかっている。

秋山沢に沿った林道に車を入れ、新しい堰堤から歩きだす。これも数年前に南川さんとたどって確かめてあった旧い道を登った。これは今の地形図にも破線が残っているが、葉の落ちた時季でないと見つけるのも大変かもしれない。

上部の輪切り林道から上には迷路のような作業道が錯綜している。これをうまく使うのが山勘の発揮しどころである。残りの標高差を150mを残すあたりまでは作業道で達することができた。そのあとは間伐後の木が放置された山腹をひたすら斜上し、ようやくオソネ南稜に達した。

そこは記憶にあった美しいミズナラ林のはずだったが、続いた台風のせいか、倒木が多くいささか荒れた感じがする。まあ、それは山全体に言えたことだが。

頂上三角点を往復し、南側の日当たりのいい場所で昼休みとした。寒くなければ長居をしたいところだが、薄雲が出て陽ざしをさえぎるようになったらさすがに1800mの場所では寒い。そそくさと下山の用意にかかった。

帰りは南稜を忠実にたどることにした。想像していたより急傾斜に感じたのは、岩の露出が多いからだろう。登る方が楽な稜線である。輪切り林道で尾根は崖になっているだろうからと途中から西に逃げたが、危険はないもののおそろしく急斜面だった。

うまく一筆書きで周回したオソネだったが、その東西の稜線にまだ歩いていない部分がある。いずれ朱線をつなげたいものである。


笠無(谷戸)

笠無は、端正な笠形を成す山容から笠無となったと聞いたことがある。周囲を日本を代表するような山山に取り囲まれている位置にあっては、その優美な山容も好事家の目にしか留まるまいが、こういった山に興味を持つと遊び場は無限である。

その笠無が自宅の2階から見え、いつかは登ってみたいと思っていたヤマネコさんだったが、高さはなくとも、八ヶ岳の一般ルートを登るようなわけにはいかない。そこで木曜山行で計画してくれとリクエストしたのだった。

せっかくのリクエストだから笠無を丸かじりしようというわけで、北側のクリスタルライン八ヶ岳展望所から登って、笠無を越えて、笠無最長の尾根を藤岡神社まで歩いてしまおうという計画を立てたが、あいにく午後には雨が降り出しそうな予報であった。

そこで午前中にも終われるくらいのルートに変更し、出発点は変わらず、下るのは樫山峠とした。水曜日の催行としたのが災いしてか、天気予報が災いしてか、当のヤマネコさん以外に参加者はおらず、二人旅となってしまった。これで午後から降るのかしらというような朝の青空で、当初の計画でもよかったかなと思ったが、結局、午後早くには曇天になった。

ただでさえ入山者の少ない笠無でも、八ヶ岳展望所から登る人はさらに少ないだろう。数年前に初めて登って以来、ちょっと笠無へ、というときにはこのルートを使っている。笠無への最短ルートだと思う。

葉の落ち切った林からは白い八ヶ岳や南アルプスが望め、冬にもっとも近い晩秋の雰囲気がすばらしい。山の北側ではうっすらと雪の積もった落葉を蹴散らして歩いた。

頂上の西で広大な八ヶ岳の裾野を見下ろして早めの昼休みとし、樫山峠へと尾根を伝った。樫山峠へ歩くのは私にとっては久しぶりだったが、これもすばらしい尾根道で、新緑の頃にもまた歩きたくなった。


片山周回(甲府北部)

この週は木曜日の予報が悪かったので、まず日曜日の横浜YYさんたちとの山行を片山にして紅葉の様子を確かめることにした。そして火曜日には横山夫妻との山行をまた片山にして、木曜の代替になるようにそのつもりでいた人を誘い、山歩大介さんが参加した。いずれもすばらしい好天で紅葉とともに展望も楽しんだのはこの掲示板で報告したとおり。

これにて木曜が雨天中止でもまあ仕方ない、見るべき紅葉はじっくり見たのでもういいやとなったわけだったが、直前になって天気予報が好転、雨は降らないだろうとなった。となるとおさまらないのは、そのつもりで木曜日を空けてあったおとみ山。自分だけ行っていないのは著しく不都合である。断固として片山に行きたい。それに、つい前々日に行ったばかりの山歩大介さんがまた付き合いましょうと言ってくれたのは、病後のリハビリに最適というのみならず、そのくらいの魅力がこの山にあるからであろう。

そこで今週はまるで片山に通勤しているようになってしまった。しかし毎度同じようなルートでも面白くないと、昨日は、まだ歩いたことのない、片山北側の歩道を調査してみることにしたのである。

住宅地に近い、山の南側の歩道でも滅多に人に出会うこともないとなれば、北側の歩道ではなおさらで、そのうえ冬を思わせる曇り空とあっては駐車場近くの遊び場で野外保育の園児を見た以外に、片山大宮山をぐるりと一周して、まったく人影を見なかった。

枝越しに市街地を見下ろす、明るい南側の歩道に比べ、北の山との間に帯那川の谷がある北側の歩道は意外なほど山深い感じがする。南側に較べると晩秋の風情の濃い歩道をたどって片山の紅葉の林へたどりつく。

まだまだ色の変化を楽しめそうな片山である。葉が散り切ってすぐの地面もさぞ美しいだろうから、これはちょっと見たい気がする。


石割山(御正体山・富士吉田)

四季の変化のはっきりした日本の山では、気に入った山なら季節を変えて登ってこそ面白みも増すのだが、つい同じ季節を選んでしまうといった山もあって、私にとっては石割山がそのひとつである。木曜山行では2度、それ以前にも1度登って、いずれも冬枯れの季節だった。富士山の眺めが身上の山だから、富士がそれらしい雪のかぶり方をしている冬に歩きたくなるのだろう。稜線の落葉した木々を見るにつけ、新緑の頃も良かろうと思うのだが、そんな季節には他の山を選んでしまう。

木曜山行で前回登った様子はたわら写真集にあってhttp://yamatabi.info/tawara-20080117.html、しかしそれも10年近く前になり、そろそろ再訪をと計画したのはまたしても去年の冬のことだったが諸事情で流れた。そこでまた今年も計画に入れたのがやはり同じ時季になってしまった。どうも思考回路が固定しているらしい。

だがオーソドックスに石割神社からというのも芸がない、忍野村側から地形図にある破線をたどって西側から石割山に登ろうというが去年思いついた計画で、それはそのままとした。問題は下山方法だが、富士山の眺めが芳しくなければ二十曲峠へ、もし良ければ花の都公園に下ることにして、あらかじめ公園に自転車をデポしておくことにした。そしてほぼ完ぺきな晴れとなった。これならもう二十曲峠への下山など考えられない。登頂後は徐々に大きくなっていく富士山に向かってひたすらの稜線歩きである。

昭文社の地図によると忍野の貯水池からは実線が入っているが、入口にはまったく道標はなく、途中のまぎらわしい分岐にもまったく道標はなかった(稜線側からは道標があった)。もっとも我々は、より石割山に近い稜線に通じる破線をたどることにしていた。これはかつての植林作業道らしく、径形ははっきりしていたが草繁る時季なら歩くのは大変かもしれない。

石割山の南西直下に出て、頂上を往復する。頂上は火山土のぬかるみで、富士を眺めながら落ち着いて座る場所にも事欠くし、登山道も霜柱が融けだすとドロドロで歩きづらくなる。昼にはまだ早かったので、ひとしきり展望を楽しんだあとは早々に下山とした。

ちょうど平尾山で昼になり、富士の大景を前に長く休んだ。ここで3人、石割山で2人だけが昨日出逢ったハイカーだった。師走の山はすいているのがよい。

花の都公園へは4つの突起を越えていくが、その上下のことごとくが階段なのには閉口させられる。しかしこの地質では階段が土留めの役も果たしていることだろうとは思う。

花の都公園に近づくと、太陽が富士山の頂上あたりに落ちていくように見えた。はたして公園内では三脚を立てている人が何人もあって、どうやら昨日あたりが入日のダイヤモンド富士が忍野村で見られる日であったらしい。入日までもう20分なら自転車で車を取りに行く間にもその瞬間が訪れる。皆さんそれぞれ傑作をものにしたらしい。たわら写真集にあるとおり、先回も山中湖でダイヤモンド富士に偶然遭遇したのだったが、今回もまた遭遇するとは幸運であった。

最後の最後には紅富士の湯で、風呂屋のペンキ画ではない本物の富士山を間近に見ながら湯舟につかり、富士山漬けの一日を終えた。

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