48.鼻曲山  2012(平成24)年9月24日

鼻曲山は、以下のように3度登っている。
 1.1956(昭和31)年5月27、28日 
 2.1989(平成1)年10月5日
 3.2012(平成24)年9月24日
 
1.まだ学生の頃、高校の同級平沢実と出掛けた1泊2日の山旅。初日は軽井沢から碓氷峠‐霧積温泉泊、翌日は十六曲峠を経て鼻曲山に登り、国境平駅から今はなき草軽電鉄に乗って軽井沢に戻った。一日目の軽井沢から碓氷峠までは歩いたのか、あるいはバスがあって、それに乗ったのか覚えていない。学生の身分ではタクシーに乗るはずはない。いずれにしろ、なにもかにもが忘却の彼方。ただ、鼻曲山に登った日は暑くて咽喉が渇き、国境平駅の水を頼みにしていったら、駅員にここには水がないといわれたのが唯一の記憶である。草軽電鉄については三浦鉄道博士のご教示を仰ぎたい。
 
2.こちら二人、軽井沢からはタクシーに乗って長日向、以後は鼻曲山‐留夫山‐一之字山‐碓氷峠と歩いた。登る途中、振り返ると浅間山がなかなかのもので、上左の写真はその時のものである。
 
3.2と同じコースを、これも高校の同級の館山盛と歩いた。彼は本欄「その3 カラー篇」の「18.苗場山」「25.南平山」、「あの頃の山と人」の「18.八ヶ岳横断歩道、三峰山」(ここでは斜山三吉を名乗っている)にも顔を見せているので、そちらもご覧いただければ幸いである。なお、この鼻曲山に同行したとき、山中にかかると彼がザックから本物そっくりのリボルバー2挺を取り出した。顔もそっくりで、ボブ・ホープの「腰抜け二挺拳銃」そのものだった。そして云うには「これを家で鳴らすと女房が嫌な顔をするので、山ならいいだろうと持ってきた。この間、目黒のオモチャ屋でみつけて買ってきた。火薬をいれて鳴らすと本物そっくりの音がする。どうだ、お前、いいだろう」。いくらいいったって、いい歳して、山の中でモデルガンにしろ、ピストルをぶっ放すなんて、感心するより呆れるしかなかった。後日談としては「あの時、お前はもっと驚くかと思っていたのだが、そうでもなくてつまらなかった、そんした」、さらにはルーガーなども買い足して、今は4挺の短筒を所有している由。なお、麻布十番奥の都立城南高校同級生のうち、現在のところ私の知る限りでは、まがりなりにも二本足で歩け、かつ気が確かなのは、この平沢と館山二人ぐらいになってしまった。
 
上右は3.の時の写真で、山が写っているのは鼻曲山頂上近くからの角落山(その右奥には榛名山)、人物のほうは碓氷峠の熊野神社前で軽井沢からのタクシーを待っているところ。
(2020.5.25)
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