男体山
  1971(昭和46)年2月20〜22日

初日は三本松から志津小屋に入って泊まり、2日目に男体山、3日目に大真名子山に登って帰るという2泊3日の計画だった。

奥多摩山岳会の山行で5人のパーティのうち新人が2人いて彼らにラッセルをさせるつもりだったが、初めての雪山に驚いてまったくの役立たず。ラッセルはおろか炊事など雑用一切をこちらがやる羽目になった。

雪もけっこうあって、上はアイゼンで硬雪の上を歩けるだろうと思っていたのが最後までワカンのラッセルになった。結局、大くたびれにくたびれて、3日目は天気が思わしくないのを幸い大真名子山には登らずじまいだった。

なお、新人の1人が加藤隆君で、この6年後、七ヶ岳の帰りに五十里湖畔で事故を起こしたものの「日本の車は湖には落ちないようにできている云々」の迷文句のドライバー。しかし、わりに早く山をやめ「今はどこで、どうしているのやら」だ。

なお、このときは残間雅秋君もいてラッセルを率先してやってくれたし、新人の面倒もよくみていた。彼にはこの欄に2度登場してもらっている。「将監峠」「中央アルプス・2」を見てください。



上 やっと山頂近くの稜線にでたところ。左上奥に奥白根山が見えている。人物はたぶん新人の小堤君だろう。

中 山頂から尾瀬方面を見る。遠くに燧岳の双子峰。

下 三本松からの林道も途中からラッセルになった。今から40年以上も前は、まだ木のシャフトのピッケル、キスリング型のザックや網上げで閉じるスパッツの時代だった。

(2013.3)                       

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