36年前のこの写真、見ていると寺田政晴君の顔がおのずと思い浮かんでくる。彼との山行はこのときが初めてだった。そして、2006年4月に森山の会で登った荒船山と御陵山が最後になるのだが、その29年の間に200回余の山行をともにした。奥多摩や中央沿線など近郊の山はもちろんだが、朝日連峰や中央アルプスの縦走など泊りを重ねての長い山行も少なくなかった。
この七ヶ岳(ななつがたけ)は奥多摩山岳会の加藤隆君運転の車に寺田君、こちら2人が乗り、前夜遅く東京を出発して明け方に羽塩登山口というアプローチだった。
雪に埋まった程窪沢を登って残雪期の山の魅力一杯だったが、「行きはよいよい帰りは怖い」。寝不足の居眠り運転で五十里湖畔道路左側の壁に衝突、側溝に前輪を落してタイヤが裂け、ボンネット左側がライトごとつぶれる事故になった。
「危ない危ない、これが反対側だったら湖に飛び込んだところだよ」に加藤君が答えていうには、「なに、日本の車はハンドル持つ手がおろそかになると自然と左に曲がるようになって、湖には落ちないようになっているのです。うまくできているんです」。
あとの3人、口をそろえて「左側が湖のところだってあるだろう。そんな馬鹿な」としかいいようがなかった。
寺田君が亡くなったのは06年11月のことで、昨年秋に七回忌の法要をするからとの連絡が夫人からあった。私は、その往復葉書を手にして「あぁ、彼がいなくなって、もう、そんなになるのか」と感慨無量だった。彼をよく知る友人たちも、みな同じ想いに違いない。
上 程窪沢をつめて尾根にあがれば、山頂はあといくらもなかった。人物は加藤君。
中 七ヶ岳は鋸歯の尾根を連ねて、心躍らせる山容だった。
下 七ヶ岳山頂の寺田君。なにしろ、嬉しそうだねぇ。彼はこのとき29歳。存命ならば今年8月30日で65歳のはずだが、いったい、どんな寺田君になっているだろうか。
(2013.2)
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