大菩薩峠小菅道
   1980(昭和55)年1月14、15日

荻窪から塩山までの乗車賃が1020円(現・1620円)、塩山から裂石(大菩薩登山口)までのバス料金が300円だった時代、そして、介山荘には、まだ佐藤勤さんが入っていた頃の大菩薩行。ちなみに帰りの小菅から奥多摩駅までのバスは500円、奥多摩駅から荻窪までは590円(現・890円)の乗車賃だった。



上 山の記録帳をみると、中央線は9時30分の高尾発とずいぶんゆっくりの出発で、塩山で買い物と昼食をすませてから11時50分のバスに乗っている。上日川峠まで登るとしだいに雪が深くなってきた。峠まではあと一息、介山荘が見えている。

中 フルコンバ小屋の前で大菩薩峠越えの道は、丹波道と小菅道に分かれる。この頃になると小屋も柱だけで大分みすぼらしくなっているが、私が最初に丹波道を歩いた1952年当時は、こんな吹き抜けではなく、まだしっかりと外壁もあって小屋の体をなしていた。(参照

下 小菅は私の好きな山間の集落の1つだ。現在、小菅道は赤沢の出合からあっけなく車道になってしまうが、この道を初めて歩いたとき(1960年11月4日)は、まだ車道などなく、白糸ノ滝を見ながら集落に入ろうとするところまで昔の細い峠道のままだった。今の車道は白糸ノ滝からはなれて通じ、途中から滝見物の遊歩道が作られているにしろ、わざわざ寄り道をしていこうという人は少ないのではないだろうか。      
(2013.12)

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