大菩薩峠、丸川峠
  1974(昭和49)年2月18、19日

最初に訂正です。この「雁坂峠、甲武信岳」の項に、私は望月達夫さんの紹介で織内信彦さんを知るようになったと書きましたが、それは誤りです。正しくは、まず織内さんと知り合い、そして織内さんを通じて望月さんとも知り合うようになったのです。

山岳会の図書室での或る日、望月さんが話しかけてきて「君は、この頃、織内君と山へいっているようだね。どうだ、僕とも一緒に行かないか」。でも、会のなかでも一番のウルサガタといわれるお方と山へいくなんて、気がつまるばかりではありませんか。言を左右にして逃げまわっていたのが、ついに観念しなくてはならない日がきて、結局は130回ほども同行するようになったとは、人生、わからないものです。(文中、山岳会とあるのは日本山岳会。私は1956年9月入会、会員番号4432)

さて、この大菩薩行は、まず織内さんと話があったところへ、「君、織内君と大菩薩へいくそうだね」と藤島敏男さん、さらに島田巽さんが「横山君、織内さん、藤島さんと大菩薩へいくそうですね」となった挙句の2日間。会の長老方はなんでもツーカーのようだった。



上 大菩薩峠の藤島さん。藤島さんは六本木の都営アパートにお住まいだったが、その軒下に捨ててあったという染みだらけのコートを拾ってきて、いつも山でご愛用だった。望月さんが見るに見かねて「それだけはやめたほうが……」というのも聞かばこそ。

中 丸川荘の軒先をかりて昼食のウドンを作った。左から藤島、島田、織内のお三方。

下 峠の介山荘に泊まった夜は佐藤勤さんが歓待してくれ、翌朝は雷岩まで送ってきてくれた。彼は、後年、富士山登山中に落石事故で亡くなった。

(2012.12) 

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