大菩薩館、フルコンバ小屋
  1961(昭和36)年12月18日

前夜、裂石(現・大菩薩登山口)の山楽荘に泊まり、この日の昼前に大菩薩館にあがったものの、雪が降りだしてそれ以上歩く気もしなくなり大菩薩館の炬燵でくすぶっているときだった。1人の英国人が雪のなかを自転車でやってきて、休ませてくれというが、なんとか話が通じるのは私しかいないようだ。

そこで、なにはともあれ「コタツへプリーズ」と、これがバートラム・シェリングさんとの出会いであった。

お歳は40格好、彼は英国大使館の書記官で大の自転車好き、今日は日川林道を走り、これからは大菩薩峠を小菅へ越し東京まで帰りたいのだという。しばらくお茶を飲みながら炬燵であたたまったあと、私たち二人で峠の向こうのフルコンバ小屋まで送っていったが、滑りやすい雪道をふらふらとおりていく自転車姿が危なっかしく、大丈夫かと心配だった。

後日聞くと、やはり途中で暗くなり小菅の旅館に泊まったそうだ。なお、炬燵であれこれと話をしているうちに彼は『エヴェレスト その人間的記録』(文藝春秋新社/昭和31年)の著者ウィルフリッド・ノイスの友人といい、それをきっかけにティルマンやシプトンなど英国登山家の本のことが話題になったのも楽しい思い出である。(参照)



上 大菩薩峠を武州側に越して約30分、小菅道と丹波道が分かれるところに、かつてはフルコンバ小屋と呼ばれる簡単な小屋掛けがあった。昔、武州側と甲州側の産物をここで交換したといい、近くには水場もあった。(私はモノクロ写真の現像と引伸しを自分でやっていたが、ここに掲げた2枚の写真はフィルムにカビがはえていた。見苦しいのはご容赦のほどを)

中 大菩薩館 当時は、すでに志村恵男さんから雨宮長徳さんの経営に変っていた。私は長く定宿としていたが、いまは跡形もない。

下 シェリングさんとは、その後、家に呼ばれて夕食をご馳走になったり、御岳山の旅館に泊まって日の出山にいったりした。これは出会った翌年の2月11日に日の出山で写したもので、娘さんを連れてきていた。彼は英国に帰ってしばらくしたあと、オーストリアでサイクリング中に事故で亡くなったと奥さんから連絡があり、私は辞書と首っ引きで英文のお悔やみを書いた覚えがある。

(2012.11)

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