1970年といえば半世紀近くも前のこと、古い変色した写真にはたくさんの思い出が詰まっている。初冬の斜光線を浴びて赤く染まる山肌、正面壁ルート基部のピッチをフォローする長谷川良典。

彼こそ、このシリーズ4月の「体力の使いみち」に登場した〈学生登山界のエース〉である。やがて高所登山の分野で頭角を現し、70年代の半ばから80年代にかけて巨峰をめぐるいくつものビッグプロジェクトにかかわった。高所登山のエキスパートになっていく過程で、彼はふたりの伝説的な登山家と時を超えて縁を結ぶことになる。

そのひとりは山の歌「いつか或る日」でも知られるロジェ・デュプラ。ガルワル・ヒマラヤの名峰ナンダ・デヴィ東西双峰を高見和成とともに縦走(‘76日印合同隊)。それはデュプラが縦走中に行方を絶って25年後に果たされた登山界の悲願だった。もうひとりは「そこに山があるから」の名言を遺してエベレストに消えたジョージ・マロリー。79年のエベレスト北面偵察の折、中国人登山家(のちに遭難)から北東稜のとある地点でイギリス人遺体を見たことを聞き、場所柄、登山者の放置遺体は多いものの、位置関係からしてマロリーではないかと推測。この情報が欧米の登山界にも伝えられ、99年の英米メディア合同捜索隊による歴史的なマロリーの遺体発見へとつながった。(1970年11月下旬)


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