米寿祝いの山歩き・八千穂高原(松原湖

おとみ山とN女史の米寿祝登山は、5月に前倒しにして八幡山でおこなった。 これはおそらく人類史上初の快挙だけれども、それを証明する手立てはない。

さてさて、そのおとみ山がめでたく正式に米寿を迎えたというのだから、今一度お祝いをしようと、山もお祝い向きに変えてしまった。ちょうど1年前、横浜YYさんたちと一緒におとみ山の生前慰霊祭を八千穂高原でやった。道がよくて、楽で、雰囲気がよくて、あづま屋があって、誰もいなくて、と実にこんな時にはおあつらえ向きのコースだと思ったので、今年もまったく同じように歩くことにしたのである。

久しぶりの好天の木曜日、八千穂高原への道沿いの木々も少し色づいて気温は高いものの秋の気配が漂っている。整備された山道をのんびりと登って1時間、会場のあづま屋に到着する。男4人の、それだけに遠慮のない大放談が延々と1時間以上続き、持って行ったビールやワインもきれいに空いて、もう1本あったらなあと思ったが、年齢を考えればそれは飲りすぎというものでしょう。

最後は気分よく白樺林を散歩して良き半日を終えた。

科の木から薙鎌神社展望台へ(霧ヶ峰)

8月末に霧ヶ峰西側の破線を探りにひとりで出かけたが、まったくの五里霧中で、あたりが伐採してあり、位置からしてこれはさぞ良かろうと思われた薙鎌神社での展望がお預けになった。

9月最初の木曜山行では、こんどは少しルートを変えて同じく霧ヶ峰西側の道を探ってみようと出かけたが、強清水に着いたとたんに豪雨に見舞われ、すごすごと尻尾を巻いて帰ったのだった。

そして昨日、ついに好天が訪れた。強清水から撤退した日は私とおとみ山のふたりだけで、今回も他には誰もいないとあっては再挑戦にはちょうどいいと、その日の計画を復活することにした。

すなわち、池のくるみが長野県を代表するスキー場だった時代には殷賑を極めただろう、科の木からの道を登ってみようというのである。強清水までの車道が整備される以前は、ここがバスの終点だったのである。

科の木バス停は今でも現役だがバスの本数は絶望的に少ない。古い文献に出てくる清水橋という地名は、科の木から林道をしばらく歩いた場所にある、諏訪市の水道施設の名前に残っている。そこまでは砂利道ではあるものの立派な車道で、かつてはここまでバスの便があったという。ここから上部は通行止めではないものの、草に覆われてほぼ車両の通行はないようにみえた。

先般も紹介した、旅人木さんのサイトを見ると、科の木から池のくるみには、かつてはリフトが架けられ、シャンツェまであったというのだから驚くばかりだが、その痕跡はまったくわからなかった。要するに、池のくるみの東西にスキー場が広がっていて、踊り場湿原からカボッチョにかけてで遊んだあとも、バス停のある科の木まで一気に滑り降りることができたことになる。

思ったより短い時間で池のくるみに出ると、朝方には雲の中だった八ヶ岳がすべてお出ましになっていた。

山小屋が立ち並んでいたという防火線を登ってグライダー滑走路の一角に出ると、車山から八ヶ岳にかけて、霧ヶ峰の面目躍如の風景が拡がる。そして薙鎌神社へ行くと、想像していた以上の大展望に迎えられた。

こりゃすごい、冬ならばなおすごいだろう。伐採されてさほどたってないようだから、この展望台はまだ知られていないのか、昨日も我々が長い昼休みをする間、ふたりがやってきただけだった。

八ヶ岳、富士、南、中央アルプス、御嶽、乗鞍、そして北アルプス南部まで、これだけを一度に眺められる場所は滅多にあるまい。しかも大した労力もなく行けるのだからこたえられない。昭和26年、ここから科の木までスキーコースが開かれたというが今では想像もできない。この景色を眺めながらの滑降はさぞや爽快だったろう。

地図を今一度眺めていたら、薙鎌神社へ行く楽しそうなルートはまだありそうだ。
八島湿原周回(霧ヶ峰)

夏以降としては初めてではないかというくらいの好天が先週の木曜以来数日続いて、今週の木曜日はまたまた悪天の周期に入ってしまった。

名古屋のやまんばさんと神戸のN女史が久しぶりに遠路はるばるおいでなので、雨の降らなさそうなところはないかと探したら、どうやら北へ向かえば多少は良さそうだというので、いろいろな候補を頭に入れて、まずは霧ヶ峰へと上ってみた。

朝方の地元では風がわりと強かったので、草原の吹きさらしを歩くのではかなわない、森歩きがほとんどの和田峠越えあたりが適当ではないかと思っていたら、池のくるみまで来ると、さほどの風もなく、遠望こそないものの霧ヶ峰界隈の展望に支障はない。

そこでゼブラ山にでも登ってみようかとなった。調べたら木曜山行で行くのは7年ぶりである。たわらさんの写真集にその様子がある。草紅葉の盛りを愛でつつ歩く木道はまだ付け替えられて間がないようだ。

木道が終わってキャンプ地に出ると傘が要るくらいの雨が降ってきた。山で降られると嫌なので、八島湿原一周に計画を変えて歩いているうちには薄日も射してきたのだから皮肉だったが、一周し終えるくらいには本格的な降りとなったので結果オーライではあった。

N女史の、広々としたところを歩けて満足、との言葉に救われた今週の木曜山行であった。帰りがけにはおまけで旧中山道の接待へ立ち寄って、わずかながら歴史散歩もした。

フシノソリ(御所平)

さて今週の木曜はどこを歩こうかなと考えあぐねているうちに前日の夕方になってしまった。参加者は毎度のおとみ山だけなので、そういつもいつも霧ヶ峰方面でもなあと悩んだのである。

お泊りになっていたご常連の山猛者、Kさんに明日はどこに行くのですかと聞くと、御陵山あたりを探ってみるというので、9月に計画して流れたフシノソリを思い出した。あそこなら行く方向がほぼ同じなので、小海線を使うつもりだったKさんを車で送っていける。

Kさんにそう言うと、じゃあ私もフシノソリへ一緒に行きますとなってしまった。信州峠以東の小川山に至る甲信県境稜線はまだ歩いていないという。我々の計画では物足りないだろう、軽い散歩のような山ですよと念を押した。

5年前に黒森から登ったフシノソリだが、高登谷高原からは14年ぶりだからご無沙汰したものである。出発点の溜池の周りも、あったはずの建物がなくなっていたし、何より、溜池の向こうに見える県境稜線が伐採で丸裸になっているのには驚かされた。5年前にもすでに伐採されていたのがさらに拡大していた。

ハナイグチ、クリタケ、ヌメリスギタケモドキ、チャナメツムタケと収穫しながらの山散歩であった。かつてはあった県境稜線南側の展望は、植林が成長してほとんどなくなっていた。山も十年ひと昔である。

伐採地に出るとあとは溜池に向かって下るのみである。眺めのいい場所で飯を食うのがいいだろうと少々早い昼休みとした。石コツの上まで伐採されているので、信州峠へ向かうなら、これまでにはなかった展望が楽しめるだろう。

溜池のまわりで再びキノコ狩りをして、その収穫はむろん夕方の食事となった。

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