石保戸山(柳沢峠

1980年代後半に山歩きを再開して以来、二万五千分の一地形図『川浦』と『柳沢峠』の山々には足しげく通ったもので、どちらの地図もすっかり折り目がすり切れ、見るも無残な状態になっている。これは、明るい樹林の山を好む私の志向にぴったりの山域だからで、もっとも、甲州にはこの地形図の範囲に限らずそんな傾向の山が多いのは幸いと言わねばなるまい。

『柳沢峠』に含まれる山域の多くが東京都水源林で、縦横に張り巡らされた水源巡視路は保安上の理由によりまったく公表されてはいないし、一般登山道として使われている部分以外に道標もないが、地形図を読んで歩く人にはかなり重宝なもので、これらをずい分使わせてもらって山を歩いたものである。石保戸山もそのひとつで、東西南北からあらゆるルートで登った。中では犬切峠からの稜線が、まずこの山に登る王道であろう。

調べたら木曜山行でこの山に3回登っていて、その最後からすでに8年たっていた。http://yamatabi.info/2010f.html#2010f3

それならまた計画に入れても良かろう、そして新緑の美しい6月初めがやはり良かろうと昨日の計画になった。どうも雨で中止かもしれないなと思っていた予報が前日には好転したのだから先週に引き続いてついている。しかも現地に向かう道中、柳沢峠の向こう側にだけ真っ青な青空が拡がっていたのだからなおついていた。

案の定、柳沢峠を越えたら多摩水源の山々が青空のもとにずらりと並んだ。途中通過する一之瀬高橋には数軒の民家があるが、今では人が住んでいるようには見えない。

犬切峠から石保戸山へと続く稜線の防火帯は今年の例にもれずすでに緑は濃い。だがそれもいつもに較べればなので、まだまだ十分に初々しい緑である。甲府盆地が真夏日になったという昨日、1400mを越える稜線も日向では暑い。木陰から木陰へと歩いていった。もっと楽な傾斜と思っていたのがなかなかの急登なのはこちらが歳を取ったせいだろう。

指入峠からは巻径を利用して、頂上への最後の登りは南側の防火帯を直登した。というのも、この防火帯にワラビが多いのを知っていたので、ワラビを摘みながら登れば急登も楽だろうと思ったからで、そのとおり、ワラビを摘み摘み、いつのまにやら頂上に着いた。

頂上で昼を過ごしたのち、帰りは忠実に稜線をたどった。指入峠からは急な登り返しを嫌って、林道を犬切峠までぶらぶらと歩いた。各々、家庭用としてはいささか多すぎるのではないかというワラビを収穫し、行きより帰りのほうが荷物が重くなっていた。

八千穂高原から八柱山(蓼科・松原湖)

八柱山の良さは、その西側すなわち雨池側のうっそうとした原生林にこそある。頂上から東側は概してカラマツの植林地だから、明るくはあっても風情には欠ける。それでもその画然とした雰囲気の違いが面白いので、これまで木曜山行では2度、麦草峠から雨池を経てこの山に登り、八千穂高原に降ったことがある。この場合は縦走になるから車を手配しなければならない。

北八ヶ岳の雰囲気がたっぷりと味わえる、麦草峠から八柱山の往復も何度かしたが、今まで八千穂高原から登ることなど考えたことはなかった。しかしこの2月にスノーシュー遊びで八千穂高原から三角点「水無」を目指したとき、途中に字が完全に消えた古い道標が立っているのを見て、なるほどここからかつては八柱山への径があったのだなと、それをたどってみたくなったことと(この破線は現在の地形図にも残っている)、去年の9月に剣ヶ峰の頂上から八柱山方面を眺めていて、その南西側の山腹に眺めの良さそうな岩場を見つけ、あの上に立ってみたいと思ったことが今回の計画になったのである。

ところが、前者は笹薮に埋もれ、これを歩いていては到底頂上に届かないだろうと、さっさと一般路を登ることにし、後者は、そこへ達するまでの、地形図で想像していた以上の傾斜に、深入りする前に引き返すことを決断、結局、単純な往復になってしまった。

寄り道のせいで、手ごわい笹薮漕ぎあり、苔に覆われた原生林の危うい上下ありと、おおいに時間を食ってしまい、出発点に戻るまでに8時間かかり、近来にない長時間の行動となった。

八柱山は麦草峠から往復する人がやはり多いのだろう、東に延びる尾根に出るまでの笹薮の刈り払いもしばらくされていないようすだったし、尾根上には風倒木が何本も片づけられずに横たわっており、その迂回にも時間を取られた。終始、ひとりの登山者にも会わなかった。

旧い径の笹薮突破は願い下げとして、岩場へは再度挑戦してみたいものだが、さていつになるやら。

男女倉から小日向山(霧ヶ峰)

ほとんどひとつだけ残った未踏のルートがあるがために、小日向山を「俺の庭みたいなものである」と豪語するにははばかれるところがあった。すなわちその、男女倉からのルートをたどって登ってみたいという個人的興味が昨日の木曜山行の計画になった。

当初、参加予定者が女性ふたりだけだったので、人跡まれな山を静かに歩きましょうと思っていたが(実情はふたりだけでも静かではないが)、小雨だとしても径のない山は下半身がぐっしょりと濡れてしまう。数日前の天気予報を見てどこか別の山にしようかと考えていたら、直前になって予報が好転、それとともに参加者も増え、木曜山行初の両手に花山行になるはずが、毎度同じく、静かな山のにぎやかなパーティになったのであった。

想像していたとおり、枝を払うこともない快適な稜線で、丈の低い笹原にケモノ道がうっすらと続いていた。これは小日向山を東西に結んで歩くときの最高のルートだと確信した。そして山の演出上、すべからく男女倉から登って星糞峠に降るべきだと思った。美しいミズナラの林から、あのさえぎるもののない大草原に出ていく爽快さ、そして八ヶ岳に向かって展望をほしいままに降る心地よさ。

計画の惹句に「ワラビの大収穫」と書いていたが、今年は花も山菜も10日近くも早いこと、しかもこれまでに2度、この山に大勢で入ってワラビの収穫をしていることから、さすがにもうあまり採れないかもと思っていたが、そこはさすがに小日向山、特級のワラビで各々リュックを重くして帰った。

高座岩から2006m峰(信濃富士見)

曇りの予報に楽観的に思っていたが、夜が明けても屋根を打つ雨音がやまず、さてこれはどうしたものかと考えていたら家を出るころようやく上がった。それにしても、ゴンドラ代を払ってまで入笠山に行っても五里霧中では面白くないなと代案を考えつつ車を走らせていたら、行く手にすっきりと入笠連山が姿を現したので初志貫徹とした。

予報が悪いせいだろう、広大な駐車場は閑散としており、ゴンドラ駅にも他の人影はなかった。山上の駅前の植物園ではアツモリソウが咲いていた。今までこの時季に来たことがなかったのか、ここで花を見るのは初めてである。

傘をさすほどでもない雨がぱらぱらしたが、それもわずかな間で、稜線を越えて伊那市側に入ると空が明るくなった。2000m近くにいるというのに蒸し暑い日だったが風が強くて助かる。快適な稜線を歩いて高座岩でちょうど昼となった。

高座岩からいったん下り、テイ沢をさかのぼって大阿原湿原に出、その後入笠山に登るつもりだったが、夜中けっこうな雨量があったので、沢沿いの径が少々心配された。さらに、目の前に見える2006m峰にあらたな伐採作業道が拓かれているのを見て、入笠山に登ったことがない人がいるわけでもないし、ここにいる全員はもちろん、まずほとんど登った人がなさそうなこの山に登ったほうが面白いのではないか提案した。

入笠連山には2000m内外の似たような円頂を持つ山が多くあるが、地形図に名前があるのは入笠山以外には程久保山と釜無山だけで、あとはほぼ無名である。しかも登る人が多いのは入笠山のみである。これらのほとんどは登ったが、この2006m峰は未踏のひとつで、いつか機会があったらと思っていたのである。伐採後でまだ作業道がはっきりしている今は絶好のチャンスである。

作業道の入り口は難なく見つかり、それをたどるうちは楽だった。しかし、その後はハードな笹薮漕ぎをする羽目にもなった。頂上手前50mくらいのところまで通じていたかぼそい作業道がついに笹薮に埋もれたところで嫌になり、四捨五入で登頂とした。

釜無林道までまったく径がないようなら来た方面へ戻るしかない深い笹原である。幸い目指す方向に作業道の名残が続いていた。二手に分かれたその道をなるたけ行く先に近い方角へと踏み込んだら途中で途切れてしまった。いったん戻って、よりしっかりした道をたどったら、遠回りではあったものの無事釜無林道に通じていた。

やれやれ、あとはいささか長い舗装路歩きだがもう安心と思った。ところが、日ごろ交通機関の時間にしばられていないせいで、ゴンドラに最終があるのをすっかり忘れていた。最終は4時30分である。それに気づいたところで、普通に歩いていてはとても間に合わない場所にまだいた。それから急いだのなんの、入笠湿原からは私がひとりダッシュして駅に着いたのは4時29分、後続があるのでもう少し待ってくれと頼みこんで、なんとか事なきを得た。

気楽なはずの入笠山周回が、いつになくハードな山行になってしまった。

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