茂来山(海瀬)

前回茂来山に登ったのは2006年だから4年ぶりとなる。時季はまったく同じ6月の初めで、しかも再度同じコースからである。つまりそのときの印象がよかったので、また訪れてみたいと思っていたわけだ。参加者もひとりをのぞけば前回も登った人ばかりで、再訪を喜ぶことになった。

霧久保沢沿いに続く径はよく整備され歩きやすい。4月から6月にかけて何度も新緑を楽しむが、標高や緯度を変えることでそれが可能になるのが山歩きのいいところである。

沢沿いの径では新緑がことに瑞々しい。トチやカツラの大木に会う。そしてこの径ではサワグルミがすっくと伸びて天を突くのがひときわ印象的である。

頂稜ではまだダケカンバの芽は出ず、ミツバツツジが咲いていた。休日には多くの登山者を迎えるであろう頂上には誰もおらず、やや雲は多いものの、四囲に開けた展望を楽しんだ。遠望のきく秋から冬にでも訪れてみれば、山座同定に時を忘れることだろう。

富士二ツ塚(印野)

富士山御殿場口は他の登山口にくらべて標高がぐっと低いので、ここから登山する人は少ないが、他にはない、長大で砂の細かい砂走りがあるので、富士山ならではの下山を楽しむ人は多いという。

宝永山から噴出した溶岩砂は御殿場方面に向かって裾野を埋め、森林限界を押し下げた。それでこちら側の冬富士はずっと下のほうまで白いのである。

八面玲瓏とはいっても、この宝永山は富士を少々いびつにするが、その裾野の広漠たる風景は山梨県側の似た標高のところにはない。そこを歩くハイキングコースがあると知り、去年の木曜山行に組み入れたのだったが、あいにくの霧でどこを歩いているのかもわからない有様で、これはもう1度行ってみなければなるまいと、また同じ時期に計画したのだった。


雪辱戦にふさわしいまったく申し分ない天気となった。そのうえ、数日前に降った雪が再び富士の頭を白くして、いかにも富士山らしい姿である。6月にこの姿は珍しい。二ツ塚がどんな姿の山なのかすらわからなかった去年だったが、御殿場口駐車場からは、なるほど名前どおりのふたつの隆起がそこにある。

風がかなり強かったが、おかげで汗はたちどころにひいていく。それにしても実に広い風景である。遠望はかすんでいるが、それでも伊豆半島の山々まで見渡せ、駿河湾の海岸線も指摘できる。まるで足元に気を使わずにそれらの風景を眺めながら歩けるのも、ここならではである。

二ツ塚のまず低い方に登って、次は高い方に登る。溶岩砂を踏む登りは辛いが、下りはあっという間である。山の南の草原に下るとうそのように風はおさまり、長い昼の休憩となった。

去年に引き続いてヒマラヤニストのW女史に加わっていただいたので、おもしろい話は尽きることがない。中学生の一団が二ツ塚に登っていく。ひとしきりにぎやかだったが、彼らが山の上に消えるとまた静かになった。

帰りは幕岩を経て駐車場に戻る。わずかに下っただけで森の中となり、駐車場に戻る直前まで美しい森はほとんど途切れなかった。行きと帰りの径の雰囲気の違いは劇的といってもよかった。

日本の象徴の山を歩くことと合わせ、ハイキングコースとして第一級のすばらしさだと思った。きっと秋もすばらしいことだろう。ぜひまた歩いてみたいものである。


石保戸山(柳沢峠)

多摩川の源流域は山梨県にありながらその森林は東京都によって管理されている。言うまでもなくそれが東京都の水源林だからで、大都会を維持するためには、それに応じた森が必要なのだという当たり前のことが、この山域を歩くたびに思い出されるのである。

だから、山梨県でも屈指と思われる森林の良さも、沢筋はいざしらず、尾根筋では人工的で整然とした良さである。犬切峠から石保戸山へと続く防火線を歩くとき、まるで整備された公園を歩くような気分がする。もっとも、こんな上出来の公園は造ろうとしてできるものでもない。

それにしてもこの防火線の良さは、ハルニレなどの大木がどういうわけか点々と残されていることで、誰の発案かこれは整備した者の粋なはからいだったと思う。

木曜山行でも、もう3回目の石保戸山となった。犬切峠から防火線に入れば、隊列を組むこともなく、あとは勝手に歩きやすいところを歩くだけである。

下界は30度を越えているだろうが、木陰に入れば涼しい。それにしてもにぎやかなハルゼミの蝉時雨である。採りごろのワラビがそこら中にあって、歩みは遅々として進まないが、急いで歩く山でもない。

総勢8名は好き勝手に初夏の石保戸山を満喫したのであった。

牛奥ノ雁腹摺山(大菩薩峠・七保)

この正月に金山鉱泉から雁ヶ腹摺山に登り、2月には笹子雁腹摺山に登った。その両方ともに同行したTさんから牛奥ノ雁腹摺山のリクエストがあったので、木曜山行の計画に入れた。これにて雁腹摺三山に登頂したことになるわけだ。

雨マークがとれなかった予報が前日になって突然晴れに変わった。好天のめぐり合わせがいよいよ木曜に合ってきたらしい。

真木から大峠へ向かう車道に入るのは20年ぶりであった。当然ほとんど記憶はない。最終の集落桑西を過ぎ、大峠へと登りつめるころには未舗装だったような憶えがあるのだが、今では立派な舗装路である。車道の脇のスズタケは見事に枯れて、それは登山道に入っても同じだった。枯れていないところも今しも花を咲かせているところで、まもなく枯れていくのだろう。この、林床を埋めていたスズタケが枯れているのは、ここのみならず、昨今山梨県のいたるところで見られる現象である。

大峠から大菩薩連嶺の主稜線に達する尾根の中間点あたりで、あたりの森は広葉樹から針葉樹に変わり、いかにも深山の雰囲気である。予報のわりには、霧がただよい青空がまるでなかったのが、主稜線に出ると、甲府盆地方面には青空が広がっていた。この稜線の東西で天気が違うことはよくあるが、その典型的な1日であった。

青空が出たら出たで、どこからともなくやってきてまとわりつく虫には悩まされた。明るく開けた場所で特に多いのだから、休みたくなるようなところでおいそれと休んでいられないことになる。

シャクナギダルに下り牛奥ノ雁腹摺山のおおらかな笹原を登りつめる。登頂は正午過ぎ、虫に悩まされながらも昼の大休憩をした。汗がひいてくると虫もそれほどまとわりつかなくなった。

休んでいるうちには、南アルプスをわずかに隠していた雲もとれ、全山がずらりと眺められるようになった。帰りがけの川胡桃沢ノ頭では雲の中から富士も頭を出してくれたのであった。

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