兜山塩山

山梨百名山に選ばれて登山道が整備された山は多いが、劇的なほど変わったのは中でも兜山だろうと思う。

私が最初登ったときは、むろん百名山以前の話で、ある本には初心者には無理と書かれていたし、またある本には道らしい道はないから覚悟の上入山することと書かれていた。

桃畑の中の入り組んだ道からしてすでに迷路のようで登山口にたどり着くだけでも大変だったが、しかしそれは今の登山口駐車場への経路も、昨今のナビ頼りのドライバーには相当厄介な代物だろうとは思う。

春日居町駅から歩いて行けなくはない山だが、もし、この、ゴルフ場のへりをほとんど一周しなければならないような車道を歩いたなら、それだけで疲れてしまうだろう。駅から歩く人はよろしく夕狩沢古戦場跡方面を目指すべきである。

首尾よく駐車場までたどり着きさえすれば、あとは道標完備でしかも何本もコースが用意されている。しかし夕狩沢から登るコースは駐車場にある案内板にはないし、遠回りな登り方でもあるので、もっとも人けのないコースだと思う。

この径をたどるのは3年ぶりだったが、かなり荒れているように思った。沢沿いなのでいったん水に洗われると様子が変わってしまうのだろう。道標も万全とはいえず、地形図片手に登る人向けであろう。3年前もほぼ同じ日に登っているのだが、写真を見較べると、今年のほうが花も緑も少し早いように感じる。

天気が今ひとつだったせいか、頂上展望台にも誰もおらず、それをいいことに長く休憩した。下りはあっという間で、2時過ぎには駐車場に戻った。
阿梨山(甲府北部)

阿梨山へは木曜山行で過去2回登っており、そのいずれもが脚気石神社を基点に帯那山を組み合わせた周回コースだった。それ以外にも私は幸澗院から2度登っているから、今回が5度目となる。

この山の西尾根を末端からたどってみようという計画だったが、駐車スペースの関係で、少々東寄りのところから沢伝いの踏跡で稜線に上がることにした。始めこそ人の径といえるような踏跡だったが、やがてケモノ道となり、稜線が近づくとそれもなくなった。しかしもうわずかな距離だから強引に登ってしまう。

主稜に合流してしまえば、あとはごく普通の登山道といってもいいような径が続いている。芽吹きも始まり、枝越しに見る高い山々は、残雪が空の色に溶け込んで輪郭が淡くぼやけている。要するにいかにも春だなあという稜線である。

2時間半かかって、ちょうど正午に頂上にたどり着いた。今回はおとみ山とふたりだけの山である。3日も荒天が続いたあとの、実にのんびりした日和で、そんな日にふさわしい、きれいで落ち着いた山頂である。急ぐ山でもない、1時間近くをそこで過ごした。

下りは塔岩から脚気石神社へ続く破線を探ってみることにした。間伐がされて間もない斜面には径らしきものがあるが、それにこだわらずに適当に下っていくと、やがて作業道が始まり、ほどなく脚気石神社の屋根が見えてきた。


節刀ヶ岳(河口湖西部)

1980年代の終わり頃、大石峠から以西のいわゆる奥御坂の山には足しげく通った。そんなとき、金山から十二ヶ岳へ向かう稜線の途中から、笹薮にうっすらと踏跡が大淵谷の方向に延びているのを見た。少し山慣れてきて、人にあまり知られていないところを歩いてみたいと思い始めた頃でもあったので、大石ペンション村からここへ大淵谷を遡って出てみようと企てたのである。1990年5月、新緑のもっとも美しいときのことだった。

堰堤工事用の車道が尽きると沢沿いに薄い踏跡があった、徐々にか細くなる流れを何度もまたいで登り、首尾よく稜線のその場所に出ることができた。

この径を歩いたのはそのときだけだが、最近ではこれが整備されていると聞いて、それなら再訪してみたいものだとの気持ちが頭の隅にあった。

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10年前の木曜山行では節刀ヶ岳と十二ヶ岳をまとめて歩いて、それが今の『山梨県の山』の一項となっているわけだが、この二山の縦走では参加者の年齢的にも少々長丁場となってきて、それ以後は一山づつ歩いてきた。

節刀ヶ岳は2009年5月に芦川側から大石峠に登って往復した。その模様はたわら写真集を参照してほしい。http://yamatabi.info/tawara-20090514.html

そこで今回の木曜山行では趣向を変えて、河口湖側から大石峠へ登り、前述の大淵谷沿いの径を下れば周遊できると考えた。これで自分の念願を果たすこともできる。しかしこれは直前になって逆コースに変更、結果的にはそれが良かった。

舗装もされておらず、ただ林の中に続いていた大石峠入口までの車道も、若彦トンネル建設でかつて面影など皆無になっている。

さらには、大淵谷(このあたりの山の開拓者、伊藤堅吉は著書の中で、大淵谷なんていう名称を地元では誰も知らない。この谷は「奥川」だと書いているが、地形図にそう載っている以上、使わざるを得ない)の源流の径は四半世紀前とはまるで違うものだった。というのも、沢にはほとんど稜線直下まで堰堤が造られ、径はその作業道に新たに手を加えたものか、沢の高みの急斜面をひたすら直登するものだったからである。つまり私の歩いた径は完全に消滅していたというわけだ。しかも堰堤工事が終わってからまだ日が浅く、周辺に木々も育っていないので風景は殺伐としている。

これには心底がっかりしたが、それでも稜線に出てしまえば、わが郷愁を満たす山径が続いていた。富士の眺望もまずまずで、節刀ヶ岳の頂上で長く休んだ。4月としては異例なほど雪が少ないのは、5月半ばのたわらさんの写真と較べてみてもわかると思う。

明るい大石峠でまた休憩し、ほどよい傾斜の歩きやすい峠道を一気に下った。大石峠の河口湖側は植林が育って暗くなっていた。峠道の味わいとしては芦川側がやはり圧倒的にすぐれている。

帯那山西尾根(ダアス峠山)(甲府北部)

去年の暮から今年の初めにかけて羅漢寺山塊には足しげく通った。歩くうちには荒川の対岸の山に目が行くわけだが、ここになかなか魅力的な稜線が見える。奥帯那山から西に張り出し、途中でやや南向きに方向を変えて、長潭橋で終わる稜線である。

荒川の、昇仙峡と言われる部分の右岸が羅漢寺山塊で、いたるところ見られる花崗岩の露出がその特徴なわけだが、左岸になると川の近くはまだしも、標高を上げるにしたがって花崗岩の露出は少なくなる。だが、この帯那山西尾根はその中では途中に花崗岩の露頭がいくつもあって、そこからは展望も楽しめそうだ。

この稜線を途中で越える破線が今の地形図にあって、塔岩町(廃村)から竹日向へ越える部分には「天神峠」(位置が違うが)と名前も入っている。またその東、913標高点の東南で尾根を乗り越す部分は「ダアス峠」という。これは戦後すぐの頃までの地形図には名前が入っていた。

1月にこの尾根を歩いてみて、これは新緑に歩いたら素晴らしいことだろうと思って木曜山行の計画に入れた。ダアス峠の東に展望のいい場所があるのでそこを目的地にした。

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前日に夕立があったせいかすっきりと晴れた朝になった。今年は4月に入ってから暖かく高山の雪解けも里の新緑も例年より10日くらいは早いように感じる。つまり、まるで5月のような景色である。

長潭橋からすぐに尾根に取り付く。白砂の稜線には倒木もあってわずらわされるところもあるが、まずまずの径が通じている。

ところどころには花崗岩の露頭があって眺めが楽しめるのはこういった藪山ではなかなか得難い楽しみである。新緑が圧巻だったのはダアス峠付近だった。そこから岩を縫うようにして登り、ちょうど昼頃にダアス峠東の山に着いた。名前がないのもシャクだから、「ダアス峠山」と名付けておいた。花崗岩が露出しているのはここまでで、この先、帯那山へにかけては地質が変わっているようだ。

帰りはダアス峠から地形図の破線どおりに下るつもりだったが、錯綜する作業路に入ってしまい、最後は適当に下って昇仙峡ラインに出た。

昇仙峡がもっとも混むのは紅葉のときだが、そんなときでもこの稜線を歩く人はまず皆無に近いだろう。ダアス峠山まで行かずとも、その手前にも展望のいい場所があるから、そこまで弁当でもかついで行って、渋滞している昇仙峡を見おろしながら食うのも楽しかろうと思う。

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