太刀岡山(茅ヶ岳)

1月の木曜山行の計画を考えているとき、たまたま29日が木曜で、そういえば坂本さんと最後に山に登ったのは29日ではなかったかと思い出した。調べたらやはり5年前の1月29日、それは悪天で一日順延した金曜日のことで、快晴の太刀岡山に登ったのだった。

その後のいきさつについてはこのサイトに書いてあるし、親しかった人には周知のことであろう。
http://yamatabi.info/sakamoto.html

もう5年もたったのかと思った。自分はさほど変わったようにも感じないが、我が家の娘がそのときにまだ小学生で、それが今や高校2年生を終わろうとしいていることや、その日一緒に山に登ったクリオがもういないことを思うと、決して短い時間でもない。

一度お弔いで太刀岡山へ登ろうと思っていたのに果たさないままだったこともあって、ぴったり5年後となるこの日に太刀岡山に登ることにしたのだった。計画にその旨を書いたせいか、冬にしては大勢の参加者になったが、その中には坂本さんをまるで知らない人もふたり混じっていた。これも時の流れというものであろう。

5年前と同じく快晴で、同じく他の登山者は誰もいなかった。違ったのは5年前にはそれまでに雪が珍しいほど降らず、越道への登山道も平和に下れたのが、今年はアイゼンなしというわけにはいかなかったことだった。頂上の松が枯れ、明るくなっていたのも5年という月日を感じさせた。

たわらさんがケーキを焼いてくれ、すがぬまさんが、自分の絵を表紙に使った坂本さんの本を頂上へ持ってきてくれた。そのほかにも酒やら菓子やら干し柿やら、いつも坂本さんが山での軽食にしていた竹輪やらが頂上の祠の前に並べられ、にぎやかなお弔いとなった。風もなく暖かい頂上で長い時間を過ごした。

越道からはいつもの平見城へは下らず、初めて草鹿沢方面へ下ってみた。太刀岡山の東の山腹にうねうねと続く林道を歩いて帰ろうとしたのである。適当にショートカットしながら下っていくうちに、地図にない林道にまぎれこんだらしく、途中で道がなくなってしまったが、方角を定めて踏跡を拾い、ふたたび元の林道に戻った。少々長いが、砂利敷ではないので歩きやすく、太刀岡山からの下山道として悪くないと思う。
カボッチョ(霧ヶ峰)

悪天で順延した木曜山行だった。大蔵経寺山の予定だったが、今季初めてめてのスノーシュー山行とすることにした。長野県中部も晴天の予報が出ている。

というのも、この少し前、中央道のバスに乗ったとき、富士見に入るとあたりが白くなった。諏訪から見る車山も真っ白である。私の住所あたりではこの冬雪らしい雪は降らないが、八ヶ岳以西ではかなりの雪が降っていたのである。八ヶ岳に登った人からも、例年以上の雪だという話も入ってきた。

前年は例の大雪で、普段ならたいした積雪のないカボッチョでスノーシューを楽しむことができた。あれほどの雪ではないにしてもスノーシューで遊ぶくらいはできるだろうと出かけてみたのである。

これが大当たり、前日の雪も残っていて、白樺湖ではすでにあたりは真っ白、ビーナスラインに入ると道路に黒い部分はなかった。

富士見台の駐車場には他の車はなかった。カボッチョは前年以上に白い。数人がスノーシューを楽しんだ跡がみられるが、それもすでに次の雪に埋もれていて、眼に見える範囲すべてが文字通りのバージンスノー、しかも状態がよい。何度かは脱出に手間取るくらいにもぐることもあったが、ほぼスタスタと歩くことができた。

八ヶ岳にかかっていた雲もやがて取れ、北アルプスも常念の三角形が姿を見せていた。あたりの風景もさることながら、この大雪原を3人と一匹で独占しているところがすばらしい。しかしたとえ100人いてもこの広さならガラガラに見えるだろう。
茶臼山〜石尊山(石和)

地形図に山名があるのとないのとは注目度がまったく違う。2万5000分の1地形図『石和』に石尊山の名前があるのは随分前から知ってはいた。

名前があってもこの山だけ登りに行くのはさすがにもったいない。なにせ532mなのだ。そこで茶臼山と組み合わせたらどうだろうと考えたのであった。ネットで調べると似たようなことを考える人がいて、ちゃんと記録が出ていた。しかしそういったものを詳しく読むと面白味がなくなるので、あまり真剣に読まないようにしている。ことにネット上の情報にはほとんどGPSでの地図上の軌跡が出ているので、それを見ると犯人をあらかじめ教えられて推理小説を読むような気分になってしまう。

それはさておき、久しぶりの暖かい日よりとなった。となるとそんな日に北の斜面の登降は気が重い、宮宕山にでも変更しようかとも思ったが、そうなれば石尊山など次はいつになるやらわからないと、初志貫徹とした。

茶臼山には北側に延びる似たような尾根がざっと6本ある。そのいずれもが中央道まで延びて終わっているわけだが、そのうち石尊山のある尾根を登って、帰りは適当な尾根を伝って帰ればいいと思った。ところが中央道の側道を車で走って、このあたりだろうとめぼしをつけたところがまったく違っていて、最初からミソをつけることになった。

なにせ石尊山らしきものがないのだから、これはおかしいと思いながら登って、決定的に間違っていたと気づいたのは西からの一般道に合してからだったのだから我ながらお粗末だが、まあそれでも茶臼山には登頂した。

この年は我々の住む場所だけが雪が少ないという妙な冬で、標高の低いこのあたりの山のほうがずっと雪が残っている。標高が上がって斜面も急になったところで、雪の下の地面が凍っているのでアイゼンをつけたが、湿った雪が靴底で団子になったのには手こずらされた。

およそ10年ぶりの茶臼山は檜の植林が伸びて暗くなっていた。かつてここには砦があったそうで、往時の掘割が残っている。日当たりの良いその掘割に移動して昼休みとした。

帰りこそは石尊山へと尾根を下ったが、最後の最後でわずかに尾根をはずし、とんでもない急斜面を木から木へと飛び移って下ることになった。

少し登り返して頂上に立った石尊山は古い石垣が残るだけのところで、しかしあたりに割れた瓦が散乱していて、かつては社でもあったのだろう。帰宅後明治時代の地図を見たら、神社記号が入っていた。まあ、今では滅多に人の訪れはないことだろう。

大城山〜日本の中心(辰野・宮木・北小野・諏訪)

大城山にはもう何度も登っているが、そこから鶴ヶ峰まで歩こうとしたのは2回目である。前回はつい最近だったように思っていたが、調べたらもう7年も前のことで驚いた。現地にもそれなりの変化があったのはその年月のせいだったのである。

もっとも、前回は強引に稜線伝いに行こうとして藪にはばまれ、わずかに進んだだけで引き返してしまった。そこで今度は再挑戦となったわけだが、またまた途中で撤退となり、再び鶴ヶ峰には到達できなかった。

大城山の北側の林道終点には「日本の中心ゼロポイントへ」と書かれたまだ新しい道標ができており、なるほど最近はここから鶴ヶ峰へ行こうという人も増えたらしいと思ったが、これがそもそも間違いの始まりだった。

前回、無理やり尾根通しに歩こうとしたが、稜線の下には地形図の破線通りに径があり、それをたどるなら少々時間がかかろうともどうってことはない行程なのである。道標までできているなら楽勝だと思ったのが、次々に現れるゼロポイントへの道標にしたがって歩いているうちに、径はどんどんと降りになった。方向もおかしい。

どうやらこのゼロポイントというのは鶴ヶ峰そのものとは関係ないらしいと気づいたときには相当下っていて、もうその地点までさほどの距離でもなさそうなので、物はついでとそこまでは行ってみることにした。

新たな観光資源にでもなるように整備したのだろう、看板があって小さなテラスがしつらえてあった。しかし看板に書いてあることは理解できなかった。よくある、日本語になっていない日本語である。辰野町のサイトに、ほぼこの看板と同じ意味不明の文章が書いてある。同じ人が書いたのだろう。
http://www.town.tatsuno.nagano.jp/zeropoint.html

ああ、あそこで間違ったのだろうという場所まではかなりの登り返しとなった。そこは径の分岐点で、鶴ヶ峰方面への方向の径は雪に埋もれてわからなかったこともあったが、ゼロポイントへの道標しかなかったのである。これでは、鶴ヶ峰、日本の中心と頭に描いて出かけてきた人はほぼ全員が道標に従ってしまうだろう。普通の感覚なら、左鶴ヶ峰、右ゼロポイントとでも書くところである。信じられないくらい不親切な道標である。道標がなければ間違わないのに。

ともあれ気を取り直して鶴ヶ峰へと歩きだしたが、鹿の足跡に助けられている間はよかったものの、その足跡が径をそれて下へと去ってからは径が山の北側にさしかかったこともあって、ともすれば股までもぐるラッセルとなった。

そのあたりで道半ばにも達していない。昼も近い。「やーめた」と引き返すことにする。最近はあきらめが早いのである。先に登った、広くて明るくて暖かい大城山の頂上が誘惑したのでもあった。あそこで長く休むにこしたことはない。そして、戻った大城山でのんびりと山々や下界を眺めて過ごしたのだった。

7年前にはあった、大城山北の宿泊施設のような建物がきれいさっぱりなくなっていた。またさらに北の岩場にあった小さな社殿が礎石だけになっていた。前の写真を見ると、古いが鉄で組まれており、7年くらいで壊れてしまう建物でもない。人為的に撤去されたのだと思う。同じく鉄製の鳥居もなくなっており、石灯籠は倒され、不動明王らしき石像もなくなっていた。何か撤去しなければならない理由でもあったのだろうか、不思議に思った。

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