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    『山靴の足あと』 坂本桂 著

ある私家本が出版された。題名を『山靴の足あと』という。私の年長の山仲間、坂本桂さんが、おもに山梨県内の知られざる山を歩いた紀行文をまとめたものである。

今年の1月末、この本の最終校正を仕上げた坂本さんは、私たちと甲斐市の太刀岡山に登った。すでに一年も原稿の取捨や校正にかかずらってきたのだから、さぞや晴れ晴れとした気分であったろう。そんな気分にぴったりの、真冬だというのに穏やかな晴天だった。午後早く下山し、お疲れさまでしたと別れた。

その翌朝、坂本さんは脳出血で倒れた。知らせを受けた私は、こんな皮肉があるものかと思った。本と命が引き換えなのか。

幸い命はとりとめた。しかし今に至るも闘病は続いている。校正が終わっていた原稿は、順調に印刷製本され、装丁に坂本さんお気に入りの、菅沼満子さんの絵をあしらった瀟洒なたたずまいの本となり、4月末、病床に届けられた。

ネット上に文章はあふれ、電子出版の話題もかまびすしい。しかし文章は本に収まってこそ凛とするところがある。本は著者より必ず長生きし、未来の誰かと出会うだろう。たとえ命と引き換えでも、山の文章を本として残すのはすばらしいことだと、完成した本を見て思った。


(山と溪谷 2010.10月号より)

 

坂本さんの本は200冊造られ、知人に送られた。山梨日日新聞に記事が出たことや、上記の文などにより本を手に入れたいがどうすればいいかとの連絡が何件かあったが、すでに在庫がないのは残念であった。

この本に登場する多くの山行を共にした行きがかり上、私は本の最後に一文を書くことになった。それを以下に再録しておこうと思う。また、出版記念会では、著者近影に使われた写真にまつわる逸話をあいさつがわりとした。それもこのページに残しておく。



             坂本さんの本に寄せて

20世紀が終わる頃、八ヶ岳の麓で山宿を開業しようと模索していた私は、誰かその地に相談に乗ってくれるような人がいないかと考えた。富士北麓で長く暮らした私だったが、同じ山梨県内でも八ヶ岳方面には一人として知り合いはいなかった。そこで、職場の縁で旧知だった甲府の山村正光さんのお宅を訪ねた。甲州の山を知り尽くしている山村さんなら県内各地に顔が広いと思ったのである。

「よし、北巨摩の坂本さんに電話してやろう」

これが今に至る坂本さんとのお付き合いの始まりであった。同じ日本山岳会山梨支部の会員だからお名前は存じ上げてはいたが、お会いしたことはなかった。

その電話で話が通じたと思った私は、まだ顔も知らぬというのに図々しくもお宅に押しかけて相談に乗っていただいたりした。今にして思えば、そんな相談を受けても応えようがなく、困られたことだろうと思う。私に資金はなく、銀行が貸すはずはないにもかかわらず、一にも二にも金銭でしか解決できない問題だったからである。

それでも私は宿を開業することができた。賃貸物件が見つかったのである。偶然にもその建物が、坂本さんが幼少のころに住んでいた家のあった場所から目と鼻の先だったというのをあとから知ったが、それも何かの因縁かもしれなかった。そして、そんな因縁を坂本さんも感じたのに違いない。移住してきてからは、商売を始めたばかりの私や私の家族をなにくれとなく気遣ってくださった。新しい住所に何のよすがもなかった私たちにとって、この土地に何代も前から住まう坂本さんの存在はありがたいことだった。

山好き同士が近所となったのだから、一緒に山に行くようになるのに時間はかからなかった。2004年に私が週1度の企画山行を始めてからは、それに坂本さんが参加するという形が多くなった。もとより経済的な事情から始めた企画である。それをよく知っていて、ひとつ助けてやろうという気持だったのだろうと私は思っている。

坂本さんは山行のたびに必ず原稿用紙3枚程度の紀行文を残してきた。そんな文章が私と行った分だけでもファイルに厚くなっていくのを見て、本にまとめたらどうですかと言ったことがあった。それがきっかけとなったわけでもないだろうが、今ここに現実となったことを私は喜ぶ。

人が一生に書ける文字数など、今では指先ほどのメモリー1枚に収まってしまう。だが、手にずしりと重い、本という形態はどんな時代になろうとも格別である。電気さえあれば何事もなかったかのようにいつでも画面によみがえる文字より、時とともに朽ちていく印字と本のなんといとしいことだろう。それは10年も100年も誰かの本棚で静かに眠っているだけかもしれない。しかし少なくとも人よりは生き永らえて、いつかどこかの山好きにひもとかれる日がきっと来る。

それが今これを読んでいる貴方かもしれない。私は坂本さんの本の軒先にこの一文を書かせてもらえたことで、自分のことまで貴方に少し知ってもらえたのを愉快に思っている。これも山と本の功徳だと感謝するのである。



           出版記念会あいさつ

本日はお忙しいところを坂本さんの出版祝賀会にお運びくださりありがとうございます。

私はこういう場で当意即妙にお話できるような才能を持ち合わせておりませんので、あらかじめ書いてまいりました原稿を読ませていただきます。

今年の1月末、もう1年も前から作業していたこの本の最終校正をようやく仕上げた坂本さんは、私たちと甲斐市の太刀岡山に登りました。そのときはいつものようにお元気だったのに、翌朝発病なさったことは一緒に登っていた私たちにとって大変な驚きでした。

しかし、一見不運に感じることも、見方を変えれば幸運だったのではと思えることがあります。坂本さんの場合も、もし本を造ろうとして、その志半ばで病に倒れたとしたらその無念はいかばかりだったでしょう。坂本さんが倒れる前に自分なりに納得いくところまでちゃんと後に残る仕事を仕上げていたことは幸運だったと私は思っています。

この本にまつわるエピソードをひとつ申し上げます。太刀岡山に登る朝、坂本さんは、本の著者近影に使う写真にいまだ気に入ったものがないので、ところどころで自分を写してくれと私に頼みました。そこで、道中、坂本さんの写真を撮りながら私は歩いていたのでした。結構沢山撮ったはずです。

太刀岡山から北へと平見城に下って、駐車場に戻る車道を歩いていくと、背後に茅ヶ岳や金ヶ岳が美しく眺められるところがあります。ここでも撮りましょうと私は坂本さんを立ち止まらせて写しました。そのとき、同行していた私の友人中島さんが横からその様子を撮っていたのです。

つまり、撮影風景をさらに撮影していたということになりますが、どう思ったのか中島さんはズームの倍率を上げて坂本さんの上半身のアップの写真も同時に撮っていたのです。

あとで彼が私にその写真を送ってくれたとき、一目見て、坂本さんが病気になられたため、まだ決まっていなかった著者近影はこの写真しかないと思いました。カメラの方向を向いていないことで、構えていない実に自然な表情となっていることは、皆さんお帰りになってからもう一度本をごらんになれば納得していただけると思います。幸いこの写真を使うことをご家族の皆さんも賛成してくれ、中島さんに使用を快諾してもらい巻末の著者近影となったのです。ですから、この写真は坂本さんが病に倒れる前のおそらく最後の写真だったことになります。

本が1冊出来上がるのには運命的で不思議なめぐり合わせがあるものです。この本をお持ちの方々には、そんな逸話があったことも記憶に留めておいてほしいと、この場をお借りして申し上げました。

この著者近影のような平穏な笑顔の坂本さんに早くなってほしいものです。ご回復を心より祈念して、私の挨拶を終わります。ありがとうございました。


追記 坂本さんは2012年5月16日逝去された。謹んでご冥福をお祈りする。

   

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