八子ヶ峰(蓼科、蓼科山)

かつて八子ヶ峰を歩くには女神茶屋からの往復か白樺湖まで縦走してタクシーで女神茶屋へ車を回収に戻るといった方法をとっていたが、前者では物足らないし、白樺湖からタクシー会社が撤退して後者もできなくなった。

八子ヶ峰西峰には東急リゾートへの道標があって、いかにも歩きやすそうな尾根道が下っているのを前々から知ってはいたが、そのコースの全容を知るために、西峰から派生する八子ヶ峰南稜の末端、茅野市北山から登ってみたのが2年前の2月のことだった。

踏跡をたどって登っていくと、東急リゾート内のハーベストホテルの裏側から突如立派な歩道が始まり、なるほど西峰から下っていけばここへ出るのかと思って、そこから上に登るのはやめ、ひとつ西側の尾根をたどって下った。

下った後、車で東急リゾートに行って他の登山口も調べ、車を置いて周遊できる絶好のコースがあることを知った。これを初めて歩いたのはその年の6月、横山夫妻とで、八子ヶ峰を歩くのにこれに勝るコースはないと思った。

それ以来2年の間に季節を変えて何度歩いたことだろうか。しかし最初に入口を調べたハーベストホテルからは登っていなかった。それを歩こうと7月2週に計画したが雨で中止にした。今回の木曜山行は夏休みに入っているのでぎりぎりまで計画を立てなかったが、どうやら行けそうなのでその計画を復活させたのであった。直前の計画にもかかわらず4人が名乗りを上げ、それに夏休み中の娘が加わった。

想像どおりの歩きやすい尾根道の東側には別荘が建っているところもあって、その部分では山歩きという感じはしないが、標高が上がって周囲の落葉松林がミズナラ林に変わってくるとがぜん雰囲気が良くなる。

林を抜けると大展望が広がる。夏のことだから遠望はあまりないが、蓼科山は見えているし、八ヶ岳もだんだん見えてきた。夏の日が照りつけていてはゆっくりもしていられないが、ちょうど雲に日ざしがさえぎられていたので、昼休みは頂上で過ごした。八子ヶ峰はやはり夏がよく似合う。

御嶽山(御嶽山、御岳高原)

御嶽山には過去2度登ったことがあって、2度目は木曜山行での登山だった。いずれもが田ノ原から剣ヶ峰への日帰りでの往復で、要するに最高点を踏めば良しの登山だった。

剣ヶ峰から北を眺めたとき、頂稜には魅力的な凹凸や池まであって、これはやはり日帰りで頂上を踏むだけではもったいない、この広い頂稜を歩いてみたいというのが2度とも思った感想だった。

頭の中にはそんな願望があったのだが、山に泊まるのが嫌いだからなかなか実現しないまま8年がたってしまった。あまり後回しにしているのもと思って、今年は早いうちから9月最初の木曜山行の計画に入れたのであった。

ちなみに勝手知ったる八ヶ岳と較べると、御嶽山の頂稜すなわち剣ヶ峰から継子岳までの距離は赤岳から硫黄岳の距離と同じである。したがって、御嶽山は富士山とその形から較べられることが多いが、八ヶ岳により近い、多くのピークを持った山体である。もっともピーク間の落ち込みが八ヶ岳ほどではないので、遠くから見ると平坦な頂稜が富士山型にも見えるのである。

霊山としての風格は富士山の比ではないだろう、今回は歴史の古い黒沢口から登ったが、車で登山口に行く道すがらのおびただしい霊神碑には圧倒された。調べたら旧三岳村だけでも15000基にも及ぶという。

この夏の不順な天気は9月に入っても続いて、天気予報も、週間予報はおろか翌日の予報すらまったくあてにはならない。それでもそれを見る以外にないわけだから水木の2日間に日を決めて出発した。

初日はまずまずの天気で、8合目女人堂で森林限界を超えると、霧に見え隠れする山を目指しての登高となった。9月だからさほど期待していなかった花も、頂稜に出て、四ノ池を見下ろす稜線で圧巻となった。これだけの花畑が見られるとは。コマクサまで残っている。何よりイワギキョウの濃い青が印象に残った。

宿泊した五の池小屋はまだ新しい。9月最初の平日とあって我々以外には数人の宿泊者しかおらず、贅沢に部屋を使うことができた。8畳の長さのかいこ棚の端と端にひとりづつ寝たのだからまるで個室である。やはり山小屋はこの時期に限る。

夜は風の音で何度も目が覚めた。この風で雲が流れてしまうのではと期待したが、はずれてしまった。それでも剣ヶ峰まで歩く間には何とかなるかと雨具をつけて出発したが、ところどころで身体がゆらぐような風と雨に、二の池まで来たところで剣ヶ峰登頂はあきらめ下山することにした。頂稜漫遊のはずがまるで決死の行軍となったのである。二の池の水面がわずかに見えた以外に何も見えなかった。

まあお天気ばかりは仕方がない。後ろ髪を引かれながらも下山したのだったが、雨に濡れた石や、木の階段に気をつかうこと尋常ではなく、やたらと長い道のりに感じられた。結局駐車場まで雨がやむことはなく、これではどうしようもなかったとあきらめる以外にはなかった。

三峰山〜二ツ山〜鉢伏山(霧ヶ峰・鉢伏山)

Sさんはこの夏に大門峠から鉢伏山へ大縦走を試みたが、三峰山まで来たところで大雨で中止になったという。これはなかなかの長丁場で、それを途中1泊で歩こうとしたことには驚かされる。ともあれ、三峰山から鉢伏山の間が懸案として残ったので、この秋の木曜山行にリクエストをしたというわけだった。

これまでに鉢伏山から二ツ山の往復は何度もしたが、二ツ山から三峰山の縦走は私にとっても懸案だったので、どう実現させるべきか頭を絞った。金さえ出せばタクシーを使えばいいわけだから頭を絞るほどのことはないのだが、相当高くつく上に、予約をすれば雨だから中止というわけにもいかなくなる。

そこで三峰山から二ツ山を往復することにした。地図を見るとこの間の稜線はかなり落ち込んでおり、しかも多くの小突起を連ねているので、往復は決して楽ではないが、まあ時間をかければ何とかなる。

山梨県はあまり良くない予報だったが、長野県はさほど悪くもないというので出かけたが、昨今の予報はあてにはならない。三峰山登山口では霧の中、しかし登るにつれて霧も晴れてきた。頂上に着くころにはかなり周囲が見渡せるようになり、遠く、目指す二ツ山にかかった雲も取れはじめていた。

ここからは初めてだったが、なんともいい径が通じていた。「美ヶ原高原ロングトレイルコース」の一環として整備されてまだ間もないらしい。しかも今年の刈り払いがされたのはつい最近らしく、二ツ山まで笹を分けたりすることもなく歩くことができた。途中の突起のほとんどは北側を巻いていて、いったん下ってしまえば、二ツ山の登りにかかるまでほとんど上り下りがない径が続いた。二ツ山の登りは等高線が詰まっているので大変かと思ったが、ここにも上手に径がつけられていて、さして苦労もなく登ってしまった。二ツ山では笹に埋もれていた三角点への径もきれいに刈り払われており、以前と印象が異なる。

途中、このまま縦走して鉢伏山まで行ったほうが往復よりはずっと楽だという話が出たのだが、だって車はいったいどうするのよと、当初は冗談だったものが、二ツ山の頂上で昼休みをするうちには本当になってしまった。つまり参加者には鉢伏山へ縦走してもらって私ひとりが往路を戻って鉢伏山まで車を回送するというわけである。

おとみ山と山歩大介さんは鉢伏山から二ツ山は歩いているが、Sさんは初めてで、このまま縦走してしまえば一気にこの稜線歩きを終えることができる。次に鉢伏山から二ツ山を歩くにしてもいつになるやらわからない。ここから鉢伏山は草原のプロムナードだし、すでに歩いている二人がいるのはこの際好条件でもある。しかも車の回送を合点承知と地図がなくとも不安なくできるドライバーは道を熟知している私しかいないのだ。

それではそうしましょうと3人と別れて三峰山に戻ったが、さすがに三峰山の登り返しは辛かった。遠雷を聞いたが雨には降られずにすんだ。

一方、鉢伏山へ向かった3人は鉢伏山荘からの車道をぶらぶら下っているときに雷雨にあったらしい。扉峠から入山辺に下って崖の湯経由で高ボッチに車を走らせた私と再び出会ったころにはその雷雨も終わったあとだった。二ツ山からも誰ひとりにも出会わなかったということで、つまり昨日、三峰山から鉢伏山の稜線を歩いたのは我々4人だけだったらしい。

にゅう〜稲子岳(蓼科)

「北八ツでいま私がいちばん行きたいところが、稲子岳周辺にある小さい谷である。私は前からそこをひそかにカモシカの運動場と名づけて、地図に道はないが、訪れるのをたのしみにしている」

この文章は『本のある山旅』(大森久雄著・山と溪谷社)の一節である。私がこの本を買ったのは出版されてすぐの96年のことだったが、一読すっかり魅了されて何度も読み返したものである。そして、それまでに天狗岳や天狗岳から中山やにゅうへと歩く途中から見下ろしていたはずの、この稲子岳の谷(凹地)をはっきりと意識したのは、この一節を読んだからだった。

私が稲子岳に初めて登ったのは、『山頂渉猟』の南川さんが、日本の2000m以上すべてに登るという企ての、そのあといくつかの中にこの山が入っていたので、ロッジに泊まって登ろうというときだった。運転手役のついでについていったのである。そのときは稲子湯からにゅうを経ての周回コースだった。

それもすでに10年以上前のことになるが、これでこの山が気に入って、以後、木曜山行の計画で6月末から7月の初め、すなわちイワカガミとコマクサの花期を狙って、にゅうから縦走する計画を毎年のように立ててきた。したがってすでに10回ほどは稲子岳を歩いていることになる。

稲子岳の凹地はその何回目かの途次に、たまには変化を持たせようと立ち寄ってみてすっかり魅せられ、それからは必ず寄り道してきた。稲子岳とともに、八ヶ岳に残された秘境といっていいだろう。ところが2年前に立ち寄ったとき、無粋な鹿柵が新たに凹地に張り巡らされているのを見て落胆、去年は計画もしなかった。
http://yamatabi.info/2012g.html#2012g3

今週の木曜山行は稲子湯からにゅうに登るつもりだったが、これはさんざん白駒池からはにゅうに登ったが、一度くらいはきちんと麓から登って、山の高さに敬意を表しようじゃないかという発想だった。

その計画を見た大森さんから連絡があって、稲子岳と凹地を計画に入れられないかとの要望である。

大森さんが冒頭の文章を書いたのは、本の元となった『ビスターリ』連載時のことだから、すでに20年も前のことになる。それなのに今まで凹地へ行ったことがなかったのである。年齢的にもそろそろ行っておかなければという考えもあっただろう。

私が大森さんの文章を読んだのはロッジ山旅を開業するずっと前のことだから、当の大森さんにロッジに何度となく泊まっていただくことになろうとは、そして山歩きを一緒にすることになろうとは、むろん知る由もなかった。縁とはほんとうに不思議なものである。

その大森さんが行きたいというなら是非もない。ではそうしましょうと計画を変えたのだった。しかし稲子湯からの周回ではさすがに荷が重いだろうと、いつものように白駒池起点で歩くことにした。

それにしたって簡単なハイキングコースというわけにはいかないルートである。つい先日傘寿を迎えたおとみ山と、そのひとつ年上の大森さんのふたりが稲子岳と凹地を歩いたわけだが、これこそ有史以来の高年齢の入山者ではなかっただろうか。

くだんの鹿柵はやはり邪魔だが、柵の中の植物がおおいに繁茂して、鹿柵の網が目立たななくなっていたのは幸いだった。それにしてもここは巧まざる自然のコロッセウムではある。静かなままでと思わずにはいられない。

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