鷲ヶ峰(霧ヶ峰)

午後からは雨だという天気予報に、早い出発としたが、外に出ると早くもぽつぽつと雨滴が顔に当たった。中止にするか迷ったが、とりあえず出かけてみることにした。ロッジから少し下って展望の開けたところに出ると、幸い高曇りで山々はすっきりと見えている。中央道で信州に向かうと行く手に北アルプスも現れた。

しかし美ヶ原までは遠いし、登りにも時間がかかる。午前中に勝負できる山はないかと考えて、鷲ヶ峰に行く先を変更することにした。不思議なことにこれまでこの山を木曜山行で登ったことがなかったのも好都合である。

これが大当たり、予報が悪いうえに早朝とあっては人気の山でも登ってくる人はいない。和田峠側から登って八島湿原に下りるまで誰ひとりいない貸切状態で、その上、富士山以外の見えるべき山はすべて見える。雨どころか薄日すら射してきた。

せいぜい山頂でのんびりしたが、それでも八島に下ってまだ10時半である。前代未聞の早さで登山を終えたが、雨が降りそうもないので、カシガリ山へ昼飯を食いにいくことにした。花は少ないとはいうものの、それでも今がレンゲツツジの盛りである。花の中に男4人がゴロゴロと寝ころがっての昼休みとなった。

大門峠を下った音無の湯という温泉にはまだ行ったことがなかったのは少々値段がお高いと聞いていたからだが、他に目新しいところもないし、真昼間から一風呂なら長湯もできて元が取れるだろうと寄ってみたら、これが月に一度の半額デー、山は半日で風呂は半額、とオチがついた。



三方ヶ峰(車坂峠)

車で登れる山に歩いて登ろうという人は少ない。だから、たまたまそんな山に車道開通以前の道が残っていれば静かに歩ける穴場となる。霧ヶ峰や美ヶ原にはそんなコースが沢山ある。池ノ平の駐車場から遊歩道で難なく達することができる三方ヶ峰もおそらく地藏峠から歩く人は少ないだろうと踏んで計画したわけだったが、狙いはピタリと当たった。

梅雨の晴れ間がもう一週間近くも続いていたので、さすがにそろそろまた雨がと心配していたのが快晴の朝になった。わざわざ今回の木曜山行のために遠くからやってくる人がふたりいたので、中止ではお気の毒と思っていた私もほっとした。

地藏峠の広い駐車場はすでに満杯に近かった。レンゲツツジの頃が一番人出が多いとは聞いていたが、平日とはいえかなりのものである。そのほとんどすべてが湯ノ丸山方面へ向かう人で、ぞろぞろと出発しているが、三方ヶ峰の道に向かうのは我々だけであった。

三方ヶ峰へは遊歩道のようないい道で、地面が柔らかいのが何よりである。ところどころで原へ出ると、レンゲツツジが盛りである。しかも先週の霧ヶ峰とちがって花の数が多い。森の中はしっとりとして林床が豊かである。マイヅルソウ、ツバメオモト、スズラン、ゴゼンタチバナ、ツマトリソウと白い花が多い。

池ノ平からの道が合流する見晴岳まで、降りてきたふたり以外に出会ったハイカーはいなかった。見晴岳や三方ヶ峰ではあいにく南側の展望は雲にさえぎられていたが、北側の籠ノ登、水ノ塔から黒斑山はときたま雲が流れて望むことができた。

有名なコマクサは今が盛りで、数はものすごい。しかしほとんど牢獄のような柵がめぐらされていて、ここまでしないと保護できないのかと思うと興ざめであった。柵の隙間からカメラのレンズを差し込んで撮るしかない。

池ノ平からは地藏峠への道もあるから、それを下るならうまい周遊コースとなる。昨日は自転車で車を回収したが、歩いても大したことはない。湯ノ丸山が人でごった返すこの時期、山で人を見るのが趣味でなければ三方ヶ峰へ向かうのが正解というものであろう。


にゅう〜稲子岳(蓼科・松原湖)

2005年から2009年まで5年連続でにゅうと稲子岳を歩いてきた。あまりに続いたので2年お休みしていたのだが、今回3年ぶりに計画した。これまでのいずれもが6月の終わりから7月の初めに歩いたのはイワカガミとコマクサの花期に合わせたからだった。そこでたまには秋にでもと思わないではなかったが、やはりこの時季の魅力には抗しがたかった。

しかし、花は次第に少なくなっているように感じられる。白駒池からにゅうに向かうとほどなく道端にいくらでもあったオサバグサは姿が見られなくなったし、イワカガミの花で足の踏み場もなかった場所にはちらほらと花が咲くばかり、その花も色が薄くて勢いがなさそうに見える。コマクサの株も減っているように思えた。わざわざこんなところにまで盗掘に来る者もあるまいから、これも自然減ということか。

稲子岳の凹地は広大な範囲にまだ新しい柵が張り巡らされていた。そこに立てられていた仰々しい看板に曰く


ニホンジカ防護柵

この周辺の柵は、貴重な高山植物をニホンジカの食圧から守るために、ボランティアの皆さんと関係機関とが連携・協力して設置したものです。

平成23年6月 林野庁 南北八ヶ岳保護管理運営協議会


この凹地の魅力はこの造作物によって半減したように思う。人跡まれな場所にこんなものを造ることを許可する林野庁や、長たらしい名前の協議会や使命感に燃えたボランティアと称する輩と私との間には決定的な考え方の相違があって、大げさに言えばこれは生き方そのものだから議論には絶対にならない。くだくだしいことは言わずとも私の考えに同調する人はするし、しない人は永遠にしない。

2箇所に人間が入れるドアらしき部分があったが、ひもが厳重にかけられていて、それをほどく手間を思うと面倒だし、そうまでして柵の内側に入らなければならない理由もなく、柵の向こう側に行くために柵に沿ってハイマツの枝を漕ぐ羽目になった。

水害でかなりの土砂が凹地に流れ込んでいた。自然と人為によって物事は変化する。毎度その上で記念撮影をしている大岩もさほど昔に落ちてきたものではないだろう。まだ斜面を滑り落ちてきた跡が生々しく残っている。

防護柵のおかげで「貴重な高山植物」が残ったここよりは、鹿に食われて「貴重でない高山植物」だけになってしまっても、こんな防護柵のないここのほうがずっとすばらしいと私は思っている。



根石岳(蓼科)

昔から1日にいくつも登るといった山歩きを好まない。山中泊で縦走でもするなら別だが、それでも1日1山が好ましい。ひとつひとつの山の印象を濃くしたいからである。

根石岳は東天狗岳の付属品みたいなところがあって、この山頂だけを目的に登る人は少ない。もっとも、その北斜面のコマクサは八ヶ岳でも屈指の群落をつくっているから、それを目的にやってくる人は多いかもしれない。それにしても根石岳のみのために1日をつぶす人は少々ひねくれている。しかし木曜山行参加者にはどうもひねくれた人が多いらしく、今年初めての定員いっぱいでの山行となった。

直前まで梅雨明けがらみの不安定な日替わり天気予報で空模様が危ぶまれたが、なんのことはない、梅雨明け宣言以来の最高の好天になった。午後からは雷雨の可能性もあるので早い行動としたが、まるでその心配もなく、丸1日八ヶ岳のどの峰も雲に隠れることはなかった。北アルプスこそ昼ごろには雲が湧いたが、それ以外、見えるべきものはすべてくっきりと見えるという大展望に、強い紫外線の中、長い時間を根石岳の頂上で過ごした。涼風がたえず吹いていたので暑さは感じなかったが、それが油断というもので、無防備だった肌には下山後の温泉がことのほかしみた。

この時期、学校登山でこの界隈はにぎやかである。夏沢鉱泉で、何クラス分も下ってくる中学生をやり過ごそうとしばらく休憩したが、その中に混じっている引率の先生に見覚えがある。学生時代のワンゲル部の後輩に似ている。しかし30年もたっているのだ。他人の空似ということもあるだろう。それにしても似ているので近くにいた生徒に聞いてみた。「誰々という先生がここにいますか」

違いなかった。声をかけ、向こうもこちらをわかって30年ぶりの邂逅となった。仕事中とあってはゆっくり話す時間などなかったのは残念だったが、好天で楽しかったことのみならず、この邂逅で昨日の根石岳は私にとってことのほか印象深い山となった。


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