北横岳から三ツ岳へ(蓼科)

台風一過の青空が拡がり、富士や南アルプスや八ヶ岳がくっきりと秋空に並んだ。朝の予報では山梨県北西部は朝から曇りで、午後は雨となっていたのだから、いったいどんな理由でそんな予報を出しているのだろうと思った。

早朝名古屋を出てきたNさんは諏訪あたりは天気が悪かったのが、山梨県に入ると一気に好天になったという。となるとこれから向かう北八ツの天気は悪いのだろうか。しかし、こちらから眺める南八ヶ岳にはほとんど雲はないのだ。

とにかく計画どおりに横岳ロープウェイに向かう。ところが、目指す北横岳が見えるあたりまでくると、そのあたりはすっぽりと雲の中なのであった。

ロープウェイの駅の広大な駐車場は霧の中でがらんとしていた。100人乗りのゴンドラに乗ったのは我々3人だけ、降り立った上の駅前にも人影はまったくない。ときおり雲の中に太陽が見えるので、さっと雲が取れる可能性もあるだろうと北横岳へと歩き出した。

晴天なら観光客のたむろする坪庭に人影皆無なのも珍しい風景ではある。途中、北横岳ヒュッテの人ふたりとすれ違ったほかには誰にも会わぬまま北横岳に着いた。展望皆無で風が強いので早々に降る。

今日の核心部は三ツ岳だが、その手前で本格的な雨となった。引き返すのも癪なので、雨具を着けて岩場をたどるという厄介なことになってしまった。晴れていても気をつかうところなのに、雨に濡れた岩には手こずらされることになった。

ともかくもほとんど休まないまま三ツ岳と雨池山を越えてロープウェイの駅に戻り、そこでおそい昼食とした。ガランとした休憩場にも誰ひとりいない。こちらが乗車しないまではロープウェイも動かぬ態で、つまり登ってくる客は皆無である。

結局帰りのゴンドラも我々3人のみ、すれ違う上りのゴンドラも乗員のみだった。山もロープウェイも終日貸切とは、これは前代未聞の経験ではないか、それもこの天気のおかげと、まるでへこたれない我々は喜んだのであった。

帰りの車道は富士見あたりでは台風がまた来たのかというような豪雨だったのが、小淵沢を過ぎるとうそのように道路は乾いて日が射しているのだから、今日に限ってはてんで方向を誤ったわけだが、しかし稀有な経験ができたのは晴天以上に印象に残ることであろう。


湯ノ丸山と烏帽子岳(嬬恋田代)

3年前の6月に木曜山行で出かけたものの、濃霧でまったく展望もないままだった湯ノ丸山、こんな天気ではと同時に登るつもりだった烏帽子岳は割愛して登山口に戻ったものだった。

展望を身上とする山で展望皆無では心が残る。再びと思っていたのをこの8月の丸山晩霞記念館行きに組み合わせた特別プランとしたが、それも悪天で中止となった。

三度目の正直を期した昨日、今までのうっぷんを晴らすかのような、文字通りの大晴天となった。浅間連山の山肌が近づくにつれくっきりしてきて、地藏峠へと車が登るにつれ空はいよいよ青い。

紅葉には少し早いこの時季、この好天というのに地藏峠の駐車場に停まる登山者のものらしき車もまばらである。レンゲツツジや紅葉の盛りには駐車場所さがしに苦労することを思えばウソのような話である。

スキー場の草地に放牧された乳牛の群れをすりぬけて登っていくと、たおやかな湯ノ丸山の姿が現れる。前回、まるで見なかった光景なので初めて来るようなものである。背後には浅間山が頭を出し始め、私にはなじみのない関東地方北部の山々がずらりと並ぶ。

少々の急登をこなして登りついた広い頂上からは、今まではこの山に隠されていた北アルプス方面の景色が一気に拡がった。富士山から北アルプスの北の果てまでが一望なのだから、我が国を代表する中部山岳のほとんどを眺められることになる。唯一、はかばかしく観ることのできない南アルプスも、八ヶ岳に重なって、北岳や甲斐駒仙丈らしき峰頭をもたげているのがご愛嬌である。

いったんもったいないくらい降って、登り返して烏帽子岳へ向かう。その稜線に着くとますます北アルプスは近づいて、上田の街並みははるかに低い。わが青春の思い出のある菅平を見下ろして、あの夏、あそこからこのピークも見えていたのだなと思った。

名残は尽きない。後ろ髪を引かれながら湯ノ丸山の巻道を地藏峠に戻る。平坦で眠たくなるような道も、足元に気をつかわず余韻を楽しみながら歩くには好都合であった。

茂来山(海瀬)

佐久平北側の山々へ向かうとき、行く手にもっとも目立つのは浅間山に決まっているが、その帰り、また千曲川の谷に入っていくとき、行く手にもっともりりしいのは茂来山である。

先週、湯ノ丸山からの帰りにもその茂来山を見て、次週に計画していた金峰山を中止にしたときには代わりに茂来山にしようと考えた。そして結局、そうなったのであった。

過去2度登った霧久保沢ではなく、槙沢からのルートを登ることにし、登山口を目指す。予報は雨のち晴れだったので、急速に回復するのだろうと思ったが、雨こそやんだものの、太陽はいっこうに顔を見せない。それでも、沢沿いの登山道は気分のよい径で、のんびりと登っていくことができた。

登山口への林道で佐久穂町のスクールバス2台とすれ違ったので、これは地元の学校の遠足か何かに違いないと思ったが案の定だった。登るうち、上の方から子供たちの歓声が聞こえてきた。あちらの方が速いとは思うが、追いついてしまっても困るのでなるたけ休み休み登る。

沢の源頭を登りきって茂来山から北西に延びる尾根に乗るといよいよ樹林がすばらしい。まだ紅葉の盛りには早いが、その時季にはさぞやと思われた。ひとしきりの尾根道の急登の間もときおり太陽が出て、このまま一気に晴れるかと思ったが、すぐにまた雲がおおってしまう。

頂上のすぐ下の草地では佐久中央小学校の4年生一行が昼の弁当を広げていた。しばらくにぎやかだったが、彼らが下ったあとはしんとなった。他に登山者は誰もいない。我々は、いずれ雲が取れるに違いないと長居を決め込むことにした。

そして頂上滞在2時間にもなろうとするころ、ついに幕があいた。八ヶ岳こそ最後まで雲が取れなかったが、それ以外の山々はほぼ見渡せるようになった。次々に現れる四囲の風景に、皆頂上でぐるぐる回った。2時間20分、木曜山行史上に残る頂上滞在時間であった。


龍喰山(柳沢峠・雁坂峠・雲取山)

去年の暮れ、山と溪谷誌から来年の干支が名前に入った山のことを尋ねられ、その縁で兎藪について書くことになったのだが、同時に西暦すなわち2011mの山はどこかにないかとも聞かれた。

そこで2011.8mの龍喰山を紹介したのだったが、これは四捨五入すれば2012mの山であり、しかも2012年の干支、龍が名前に入っているという珍しい山だから再来年用にとっておかねばならないと言われた。なるほどそこまでは気づかなかった。

雲取山から西、山の神土までの奥秩父主稜の縦走路は東京都水源林の巡視路がそのまま縦走路となってしまったため、縦走とは名ばかりで、ピークはことごとく南を巻いてしまう。龍喰山もその例にもれず、おかげで静かな山となっているわけだが、さすがに来年は訪れる人も多少は増えるだろう。ならば今年のうちに来年の標高と干支の山を登っておいてしまおうというのが昨日の木曜山行であった。

この山域のオーソリティ横山夫妻をゲスト(横山さんの「一ノ瀬と牛王院平」)に、4年ぶりのしゃくなげ荘の駐車場を出発した。かつてはよく歩いた径も久しぶりなら変化もある。昔を知る横山さんにとってはなおさら感じられただろう。牛王院平が近づくと鹿よけのフェンスがそこら中に張り巡らされており、風景をスポイルしていたが、これは昨今どこでも見られることである。

目指す龍喰山が正面に眺められる防火帯から将監峠に下り主稜線に取り付く。笹原にわずかな踏跡があるだけで目印はない。来年はおそらくこの地点に何らかの目印がつけられるだろう。

笹原を急登し、一気に山深い雰囲気になった尾根道を登って頂上に着く。新しい標識があったが、標高が2011mになっていたので、来年は2012と書き換えられるだろう。

寒気が入ってきたらしくぐっと冷え込んできたので昼食ものんびり食べてはいられなかった。帰りは巻道へと適当に急降下する。将監小屋から登山口へ戻る道がすこぶる長く感じられた。

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