えごま・あかざ
 
 
 

えごま(荏胡麻)を知ったのは、30年ほども前のことで、平ヶ岳の帰りに桧枝岐の民宿に泊まったときだった。

宿のおばあさんが、ご飯をついて五平餅のように串刺しにした焼餅を、おやつに作ってくれた。それには「じゅうねん」を煎って摺った、甘辛いたれが塗ってあった。

この地方では、えごまのことを「じゅうねん」といっている。それは、くるみとごまの中間のような香ばしさと、うま味があって、一度で好きになった。

その宿の庭先にはえごまの畑があり、青じそに似た1mにもなる茎の先に細かい白い花穂が着いていたのを、いまでもよく覚えている。

昔はこの実の油を絞って油紙を作って唐傘に張ったり、灯心を立てて燃やし明りにしていたので多く栽培されていた。当時は、ただ荏とよんでいて、荏原、荏畑などと今に残る地名は、これを作っていた土地だったという。

えごまは関東の低山にも自生している。

種子を食材とするのも限られた地方のようだし、また、その葉となると、近年までは日本のどこでもまったく食用にはされなかったらしい。しかし、韓国では好んで葉を食べるようで、この1、2年、東京のスーパーなどにも並ぶようになった。

生のまま肉類の炒め物を巻き、あるいはキムチにしてご飯を巻いて食べたりするのだと聞いている。

えごまの油は、しそ油ともよばれて、多く含まれるリノレン酸が身体によいとされ、かなり高価だが、近頃は食品店でもよく見かける。

その油が、なぜ昔は食用にされなかったのかと不思議に思っていたが、えごま油は加熱すると味が落ちると聞き、油をそのまま食材とする、サラダなどの食習慣がなかった時代には使われなかったのだと納得した。

これは余談だが、つい先日、スーパーの食品売り場でえごま油の隣に「亜麻仁油」と書いたびんを見つけたが、これも結構お高い値段がついている。 

アマニ油は、4、50年前の登山者にはなじみの深いもので、ピッケルの木製シャフトに塗り年を経てよい色艶がでるのを楽しんだり、麻のザイルに染み込ませて、水に濡れず、凍りにくく強度を落とさないように使うものだった。 

いまは、えごま油もアマニ油も食品として売られている。時代の変化はこういう所にも及ぶのかと感慨を深めた。

 

あかざ(藜)、しろざ(白藜)は、つい近年までは道端や空地に生える、ありふれた雑草だった。それが、この2、3年あまり見かけなくなり、どこへいってしまったのかと思っていたが、今年になると近所の空地で、何本も大きく育っているのに気がついた。

柔らかい茎の先のほうを摘んで、新芽の根元についた赤い粉のような毛(この毛が白いものをしろざという)をよく洗い落とし、茹でたあと水にさらして水気をきり、ごまよごしなどにする。

あかざは人によって、味の評価が大きく違うようだ。「こんなにおいしいものはない」という人もいる一方、粗末でまずい食物を例える「あかざの羹(あつもの)」という言葉もある。

昔、会津の辺りでは栽培もされていたようで、お正月料理にあかざはつきものだったと、『会津の郷土食』(星孝光著)で読んだ。

これは雪深く、長い冬に、乾燥保存したものを戻して料理していたらしい。

わたしは、あかざを「じゅうねん」(えごま)で和えたらおいしいのではないかと思うが、実際に会津の人たちが、そうした料理を作るかどうかは知らない。


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