ねまがりだけ
ぎょうじゃにんにく(アイヌネギ)
 
 
東北の山へいくと、5月末から6月は、筍シーズンまっ盛り。どこの薮にも、ねまがりだけの筍を採る人々がもぐりこんでいる。

人けのない山道の道端で、大音量のラジオが鳴っていて驚いたことがある。筍採りに薮に分け入った人々が、この音を頼りに戻ってくるのだそうだ。携帯型のラジオが、まだ手さげ鞄ほども大きかった頃の話だ。

それから、大分年がたって、7〜8年前に青森の山へ行ったときには、昔に較べて四通八達した車道の大駐車場に、筍買取りのトラックが何台も集荷に来ていてびっくりした。「はい、今日の買値はキロ○○円」という調子で、素人らしい売手に筍の折り方を教えていたりする。相当の山中まで車が入るようになったので、街住居の定年退職者などが、お小遣いかせぎに、採ってきて売るのだそうだ。

採りたての筍は、そのまま味噌汁の実にしても、焼いても煮てもおいしいから、1、2回口にできるほど採るぐらいが丁度よく、皆が皆商売にしてしまっては味気ない。
 
 
十和田湖周辺の山に登ったおりに、ぎょうじゃにんにくが、登山道のなかにまで一面に生えているのを見た。

わが家では、ニラ、ネギ臭はちょっとにがてなので、採らなかったが、お好きな方には、こたえられない珍味であるようだ。壇一雄の『わが百味真髄』(中公文庫ほか)の「雪の下萌えの山菜の野趣」という一文にも、やがて開くアイヌネギ大パーティーの、卵とじや、ぬたを思い画いて、「熱狂して、根つきのアイヌネギを見つけられる限り掘り取ったあげく」東京までの飛行機の中でも「片ときも手ばなさ」ず「庭の中でも、第一等地と思われるあたりを開墾して……ソッと祈る気持ちで土におさめて、毎朝毎夕、水や米のトギ汁をかけ」ていたのに、旅の留守中、植木屋に抜き捨てられてしまった顛末が書かれている。植木屋に抜かれなくても、東京の平地では、1、2年のうちに消えてしまったのではないだろうか。寒い土地でなければ生きられない植物だと思う。ぎょうじゃにんにくは、幅の広い葉をいかして、すり身の魚や、ぎょうざの具のようなものを挟んだり巻いたりして揚物にするとおもしろい。

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