おらんだがらし(クレソン)
おおたねつけばな・たねつけばな
 
 

奥日光の山へよく登りにいっていたころ、年に何回か泊った中禅寺湖畔、菖蒲ヶ浜近くの旅館で、おいしいお浸しが出た。それがなになのか判らなくて尋ねると「近くの沢で採れるクレソンですよ」という答えだった。

ここの夕食の膳によく載った鱒のフライには、しゃれたつけ合せが添えられていた。それはうす緑の刻みキャベツの上に、塩漬けのツルコケモモの赤い実が十数粒ほど、パラリと散らしてあるのだ。わたしはこの宿でしか見たことがないが、昔、奥日光には外国公館の別荘が多かったそうだから、そんな所の食卓を見習ったのかもしれない。

その食事を作っていたのが、この宿のおばあさんなのだが、いつもは地味な着物に、黒っぽいちゃんちゃんこなどを着て、ごくふつうのお年寄だった。ところが、ある夏、わたし達が山をおりて宿に着いた少しあとに、おばあさんが外出先から帰って来た。「東京の昔のお客様に呼ばれましてね」ということだったが、白地に黒い水玉模様のドレス、真珠のネックレスをつけて、黒いつば広の帽子、白のハイヒール。どこのお邸の奥様かという大の変身ぶりに目を見張った。

日光のクレソンは、「温泉の硫黄分のある水が流れ込む所のはだめですよ」ということだった。

 
 
おおたねつけばな、たねつけばな、なずな(ペンペングサ)はみな近い仲間で、おおたねつけばなとクレソンはよく似ている。

なお、たねつけばなは種漬花で、稲作の暦に因んだ名だ。稲もみを苗代にまくために、水に漬ける頃に花が咲くことから名づけられたそうだが、今は稲の栽培方法が変ってきて、実際の時期とずれてしまったかもしれない。

こどもの頃、家に祖母から引きついだ「松山のお皿」という数枚の四角い楽焼風の小皿があって、伊予の産物を水墨画のような筆づかいで一品ずつ柄違いで描いてあり、「ひのかぶら」「ていれぎ」などと名が書き添えてあった。

この「ていれぎ」が判らなくて、父に聞いたところ「おらんだがらしみたいなものだ」という答えが返ってきた。そのころクレソンはまだ一般化していなくて、おらんだがらし=クレソンと知ったのも、かなりあとになってからだった。久しく、わたしの頭のなかで?がついていた「ていれぎ」も、ある山菜紹介の小冊子に「四国松山では、おおたねつけばなを、ていれぎとよんで、古くから食用の特産品としている」というくだりがあって、ようやく納得がいった。

しかし、なぜ松山あたりだけで特に食用にされてきたのだろうか。わたしの調べた図鑑には、北海道から、本州、四国、九州の沢沿いや湿地、池、沼畔に自生すると書かれ、北海道で撮影された写真が載っているのだが。


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