うど・ぎぼうし
 
 

うどは山菜でもあり、野菜でもあるといえるだろう。室(むろ)でもやしのように育てた、白く長いのは「東京うど」「立川うど」などと産地名を冠して、野菜として売られている。また、芽の先が緑でもう少し丈が短かく太いものを「山うど」と称して、これも八百屋に出まわるから、まぎらわしい。

山で採るときには、この「山うど」と同じぐらいの時期に見つけられれば、1、2本採ってもよいが、必ず根を残して、土を埋めもどしておかないと、その株は枯れてしまう。

「うどの大木」といえば、何の役にも立たないという意味に使われることばだが、これはうどに対して、たいへん失礼だと思う。
 
うどは分類では草本だけれど、大木といわれてもよいほどの2mぐらいまで育つこともある。

うどのよいところは、そうなっても柔らかい若葉とつぼみは、てんぷらなどで食べられることだ。同じウコギ科なので、たらのめと似ているが、香りの高さはうどが優る。太い茎も皮を厚目にむいて、ゆでれば、ごま和え、酢味噌などで食べることができる。

 

ぎぼうしには幾つかの種類があるが、山菜とされているのは、トウギボウシ=オオバギボウシだと思う。東北では山菜の場合「うるい」と呼ばれるが、奥秩父の山梨県側、いまの甲州市のあたりでは「これっぱ」という。

雁峠から雁坂峠へたどる間の古礼山は、「これっぱ」がたくさんある山というので、そう名付けられたと聞いた。

一ノ瀬の「山の家」で、煮びたしや味噌汁をご馳走になったのが、わたしの、ぎぼうし食の最初だった。

ゆでてマヨネーズなどのドレッシングをかけてもおいしい。ただし、人がおいしいものは、動物にもうまい食料に違いなく、近ごろは雁峠あたりのものは、すっかり鹿に喰い尽されて、夏になっても、マルバダケブキの黄色の花ばかり目だち、昔日のお花畠の面影はなくなってしまった。

ぎぼうしについては、もうひとつ注意しなくてはならないことがある。
 
それは、毒のあるコバイケイソウ、アオヤギソウ、シュロソウなどの新芽を、ぎぼうしと思いこんで食べてしまう人が、少なからずいることだ。
 
よく注意して見れば、それほど似ているとは思えないのだが、「これがそうだ」という思いこみは怖い。

日本山岳会の古い会員だった神谷恭さんにもその経験があって、遺稿集の『低山縦』(茗溪堂)に、その一部始終が「コバイケイ草の毒」として収められている。
 
ただし、わたしは、このコバイケイソウは、もしかしたら、アオヤギソウかシュロソウではないかと思っている。わたしの知る限り雲取山周辺にコバイケイソウは生えてはいないからだ。


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