わらび、あけび
 
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調べたわけではないが、わらびは昔から、日本中で一番知られた山菜ではないか。

三つに分かれた芽の先が、くるくると巻き込まれて、のしという字のように1本ずつ生えてくる、その形が古代の人にもおもしろく見えたのだろう。

蕨手(わらびで)と名づけられて、文様にもなり、装飾にも使われている。古墳時代にも、柄がわらび形の蕨手刀があるし、「早蕨(さわらび)」といえば、源氏物語五十四帖中の四十八巻目の名であり、襲(かさね)の色目(いろめ)の名でもある。

ふつうに食べるのは、この新芽の部分だが、その根茎からは澱粉が採れて、わらび餅になる。また、昔は、細い根の繊維をよって、水に強い蕨縄として使ったという。
 
「ここはわらびがありそうだ」と山で探すときも、慣れないうちは、なかなか目にはいらない。しかし、一度見つけると、不思議にわらびだけに焦点が合うようになる。そして、しだいに折り取る手が止まらなくなってくるのがいつものことだ。

でも、それで失敗したことがある。遠い昔、5月の八ヶ岳山麓で、わらび採りに夢中になり、ついに茅野駅行最終バスに乗りおくれた。近くの旧家で法事があって、帰り客のお迎えらしいタクシーが停っている。もう1台無線で呼んでもらおうと運転手さんに頼むと、「いま、この法事に来ている市長さんを、市内の家まで送るんだけど、市長さんは気さくないい人だから、頼んで一緒に乗せてあげるよ」といってくれた。おかげで、市長さんの横に座って「茅野はいい所ですね」とお愛想をいいながら、無事に帰ることができた。

 

すこし前までは、あけびは、山里のこども達が秋になる実の甘い中身を、皆おやつにしていたのではないかと思う。

だが、その新芽を賞味するのは近年まで、限られた人々だけだったのではないだろうか。新潟では、木の芽といえばあけびのことで、浅草岳や守門山へ登った時は、帰りがけに寄ったラーメン屋でも、ラーメンの丼と一緒に、小鉢に盛ったあけびのお浸しがついてきた。

シャキッとした歯ざわりと、ほろ苦さが病みつきになる味だが、細い茎だから集めるのは大変だ。でもこの味を知らない人も多いので、1日山を歩く間には、熱心に集めていけば1回分楽しめるぐらいの量にはなるだろう。

お浸しのほかに、ゆでてサラダにも、スープの身にもなる。

この同じ茎が、生長して太く堅くなると、今度は民芸品の篭や手提げを編む材料に変わるのだ。わたしは、このつるを使ってリースを作ったことがある。5、6本よじってまるめた輪にして、落葉松やつるうめもどきの実をとりつけると、小ぶりな壁飾りが出来上った。
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