45.和名倉山
  1986(昭和61)年
     5月31日~6月1日

和名倉山は2036㍍の高さを誇って、奥秩父の重鎮ともいうべき堂々たる山容を見せているが、登って、そう面白いという山ではない。

登山者のほとんどは将監峠からの道をたどるだろうが、途中の草原の辺りはよいとしても、山頂にたどり着いたときには、「えっ、こんなところなのか」と失望の一言を口にするに違いない。そこは眺めもなく、林の中のなんの変哲もない小平地に過ぎないからである。

奥多摩の御前山の酷評「その外貌の良さに比して頂上の味気なさは、器量良しの馬鹿娘と云つた感じである」(『秋川の山々』東京瓦斯山岳会編/木耳社復刻版/昭和52年)と同じといってもよいくらいのものだ。

和名倉山には私は2度登った。最初は1984年の10月に故寺田政晴君との幕営行だった。将監峠から2時間ほど進んだ昔の飯場跡にテントをはり、山頂を踏んでからは川又へくだった。

ここに載せるのは、その2年後の1986年5月の2度目のときの3枚。山田哲郎、大森久雄、泉久恵の諸兄姉の同行を得て、初日は将監峠の小屋泊。山頂ではやはり異口同音の「こんなところか」ののち、前回と同じように川又への道をおりた。



上 山頂ではなにをするでもなく、ただ座り込むだけ。ただし、これらの写真は30年も前のもので、今は眺め広々かも知れないとも思うのだが、どんなものだろうか。

中 和名倉山には白石山の別名もあり、それは秩父側の呼び名といわれている。この奥秩父山岳会の道標も「白石山」となっている。

下 本欄のモノクロ版「その1 竜喰山 1981(昭和56)年6月20、21日」をご覧いただくと、そこに将監小屋の番人をやっていた小池寿和君が写っている1枚がある。彼は気がよく、何回か泊まるうちに親しくなったが、なにしろ人一倍の大酒のみで、大森さんが「きっと脳溢血かなんかで危ないよ」といっていた通りに早死してしまった。 下の集落から小屋へあがる途中で倒れていたという話を聞いた。この写真を見ていると、お客をおっぽりだして、一人酔後の大いびき。「おいおい、寝るならちゃんと布団にをかけて」と、揺り起こしたことなどが思い出されてくる。    

(2015.2)

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