早池峰山、和賀岳 
  1977(昭和52)年7月17、18日

「梅雨の季節の3日間、郷土の山の自然保護と、秘峰和賀岳に熱情をかける岩手県の高橋亭夫氏のお誘いで、池田智津子会員の連絡を受け、十年ぶりに早池峰山に登ることができた」

とあるのは、日本山岳会会報『山』389号(1977.11)に載る坂倉登喜子さん執筆の「早池峰山」である。

また、同号には、やはり、この山行に参加した加藤隆さんの「和賀岳」もあって、今、それらを読み返してみると、「あぁ、あの時は望月達夫さんや高木茂子さん、それに金坂一郎さん夫妻ともご一緒していたのだ」と、ひときわ懐かしい想いが甦ってくる。



上 和賀岳山頂。岩手・秋田県境にあって標高1440㍍。今はどうか知らないが、当時は交通の便が悪く、普通にはなかなか行きにくい山だった。私と家人は、望月さんが「坂倉さんから聞くところによると地元の人たちが車をだしてくれるそうだ。いい機会だから行ってみようではないか」と誘ってくれての参加だった。

中 早池峰山頂1914㍍。「807(大同2)年、大迫の2人の猟師が鹿を追ってこの山に登り、権現の霊容を感じて山頂に祠を建て、瀬織津姫を祀り、信仰登山が始まったという。後に修験道の道場としてもさかえたが、広く岩手、宮城の人々に信仰された」(『コンサイス日本山名辞典』三省堂。しかし、この辞典はあまり信用がおけないし、この文章も感心しない)。

下 薬師岳から和賀岳へは私好みの気持ちのよい草尾根が続いていた。

(2013.11)

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