叶山、八倉峠 
  1974(昭和49)年3月24、25日

今から約40年前のひと頃、西上州の山や峠に足しげく通っていた。古い5万図「万場」や「富岡」には、そうした足跡を記す朱線が縦横に引いてあり、わがことながら「よく歩いたもの」と感心してしまう。そして、その多くは望月達夫さんや山田哲郎さん、あるいは藤井実さんとの同道だったが、このときは珍しくこちら2人だけになった。確か叶山が近々削られると聞き、その前に登っておこうと出掛けたと覚えている。

叶山は志賀坂峠の北にある1106.3㍍の全山石灰岩の山だが、採掘が始まると高さを減じ、形も大きく変わってしまった。小さいながら突兀と風格のある岩山だったのにと惜しまれてならない。ただし、神流川の谷筋に住み、この山のために冬の朝方、遅くまで陽が差さずに寒い思いをしていた集落の人たちは、採掘によって日当りがよくなったと大喜びしたと聞いている。たぶん、中央線大月の街の南背後にある菊花山と同様に日差しをさえぎる「貧乏山」と嫌われていたに違いない。

さて、このときの1日目は秩父からバスで赤平川をさかのぼった坂本より歩きだし、魚尾道峠(よのおみちとうげ)‐叶山‐叶後(かのうじろ)‐丸岩峠、そして神流川の谷におりたあとはバスで万場へいって今井屋旅館泊。2日目は神流川上流の魚附(おづく)までバスに乗り、そこから北に山室、橋倉、八倉の集落を見ながら八倉峠を越えて下仁田側へおり、下仁田からは上信電鉄で高崎へ出て帰った。



上 双子山。魚尾道峠の上辺りからの眺め。

中 在りし日の叶山山頂。遠くには双子山が見えている。なお、現行の打田鍈一さん調査・執筆の昭文社「山と高原地図 西上州 妙義山・荒船山」で叶山を見ると、961.2㍍の標高となっている。上記の文中、1106.3㍍の標高は1975年発行の5万図「万場」によった。

下 おそらく八倉峠道で写した石仏と石社。石仏には文化の年号が刻まれている。こうした石仏や石社を見ていくのも西上州の山や峠歩きの楽しさだった。  

(2013.10)

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