南八甲田
  1974(昭和49)年7月6~8日

「忘れ得ぬ山」 ‐ さてどこに的をしぼろうかと思案していたところへ、山友、横山厚夫君からの便りがあった。

「……三日間、南八甲田の山を歩いて、猿倉温泉におりて来たところです。さんざん雨に降られ、テントの山行も、よいところ二日ぐらいが限度という気になりました。サクラとミズバショウがいっしょに咲いていましたし、残雪も多いようでした。……」

この七月の初旬では、長雨も致し方ないかなと思いながら、そういえば、ぼくの南八甲田は連日ふぶかれ通しだったなと、遠い遠い日々の記憶をよみがえらせることになった。


以上は、島田巽さんが初めは『アルプ』200号(1974年10月)に載せ、のちには『山・人・本』(茗溪堂/1976)にも収録された「南八甲田の山と人」と題した紀行文の冒頭の一節である。

今、それを読み返していると、そうだ、あの時はちょうど津軽海峡を台風が通過したときだったから雨によく降られたのも無理はない。それでも駒ヶ峰と櫛ヶ峰へは登れたし、雨のやみ間の眺めもよく、まぁまぁの山行だったと思いだすのである。さらには山をおりて猿倉温泉での一浴のあと、島田さんや望月さんに絵葉書をだしたことも記憶のうちだ。

なお、同行は本欄にも何度か登場の加藤隆君と尾崎光子嬢、それに杉本貴子嬢の3人で、みな奥多摩山岳会で知り合った友人だった。



上 雲が時々切れると、八甲田大岳を盟主とする北八甲田の連なりが見えてきた。

中 テントで二晩も雨に降られると、気勢があがらなくなってきた。

下 南八甲田を代表するのが、この1516㍍の櫛ヶ峰だ。登りついたときには幸い雨がやみ、北八甲田の山々が見えてきた。この山には、私はこの3年あとの1977年の秋、望月達夫さん、大森久雄さんと、もう一度登っている。        

(2014.4)

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