信州峠越え
   1957(昭和32)年5月22日

まだ学生の頃、尾崎喜八さんや深田久弥さんの紀行文で信州峠を知って以来、私もその峠越えの旅情を味わいたいと願って、その実現が、この薫風かおる五月晴れの一日。

夜行列車で早朝小淵沢に着き、小海線の始発に乗って信濃川上から歩きだした。木っ端葺きの屋根に重石を乗せた御所平の家々、路傍の石仏など、「これよ、これこれ、こうでなくては」と、私はすっかり嬉しくなってしまったのを覚えている。

残雪光る八ヶ岳、新緑美しい木々の間に見る瑞檣山も「絶景かな」の一語に尽きた。この日は金山の有井館に泊まり、翌日は黒森経由で塩川に行き、そこからバスで韮崎にでて帰った。

なお、最近、茗溪堂からアンソロジーの『千曲川源流紀行』(寺田和雄編/2012.9)が出版された。その中に尾崎さんの「五所平と信州峠」、深田さんの「信州峠」があり、1935年1月、1942年5月の峠越えを語っている。



上.小海線の車窓からの甲斐駒ヶ岳 1972年に気動車に変る前は「高原のポニー」と愛称されるC56形の蒸気機関車が2両程度の客車を引っ張っていた。写真右上のもやもやは、その蒸気機関車の吐く煙。

中.この石仏はおそらく御所平で写したものと思う。当時はフィルムをケチして、あまり枚数を撮らなかった。もっと家々のたたずまいや農作業の人々などを写しておけばよかったと悔いが残る。小海線の昔懐かしい蒸気機関車だって写しておくべきだった。

下.峠を南の黒森側に越してからの瑞檣山 

(2012.9)
            
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