金峰山、東沢
1965(昭和40)年7月30日〜8月2日

金峰山の次に東沢とは、間がぬけていて唐突だが、この時は以下のように歩いた。当時は港区白金に住んでいて、バスの日吉坂上停留所から目黒、新宿、韮崎、増富までは公共交通の便。その日は大日岩の陰でごろ寝。といっても、上にポンチョを張り寝袋に入っているのだから、小屋で寝るのと、そうは変わらない。天気さえよければ、かえって快適なくらいだ。2日目は金峰山を越して大弛小屋までいって小屋泊り。翌3日目は国師岳、甲武信岳と歩いてから笛吹川の東沢をくだり、その途中でまた野営した。同行は黒田正雄さん。



上 金山山荘。当時にしてはしゃれた造りだが、この建物は今もあるだろうか。私が金山に初めていったのは1952年の夏、その頃は有井館が1軒あるだけで、まだランプの宿だった。なんと、それはちょうど60年の昔。

中 金峰山山頂の賽ノ河原。大弛(今では大弛峠と峠を付けるようだが、昔は単に大弛だった)に車があがる今日では押すな押すなの人だと聞くが、これまでにも書いたように、私は金峰山の上で他の登山者に出会った記憶はほとんどない。

下 流木の間にポンチョを張ってもぐりこみ、頭上に折りたたみ傘を開けば今夜の宿は出来上がり。手当たりしだいの流木を燃やして石を熱し、その上で豚肉を焼いた。

(2012.11)

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