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 横山厚夫さんが語るロッジ山旅の山と峠
 霧ヶ峰

霧ヶ峰には、ロッジ山旅ができて長沢君と一緒に行くようになる前に3度出かけている。

最初は1970年の5月。藤井実さんと同行し、コロボックル・ヒュッテに2泊して高原のあちこちを歩いた。すでに40年近くも前の山行になるが、いまでも、このときのことはわりによく覚えている。まだビーナスラインの完成する前で、工事中の車道に踏み込んで普請の作業員にこっぴどく怒鳴られたこと。ヒュッテのお菜に塩漬けのワラビが付き、「さすが地のものは格別」と感心したら、「あのー、これ買ってきた瓶詰めです」と女性アルバイトが消え入るように答えたことなどである。

藤井実さん。『静かなる山』正続や『幾つかの山』
などに装画を書いてくれた絵描きさんだ。(1970.5)

当時のコロボックル・ヒュッテは眺めの広い草原のなかにあったが、いまは周りをすっかり林に囲まれている。(1970.5)

ところが、同年9月に行った2度目の霧ヶ峰はまったく忘れていた。今回、山の記録帳の頁を繰るうち、「1970.9.13 霧ヶ峰 車で往復 蝶々深山付近」の1行があって、「えっ、こんな頃、車で行ったことがあるなんて」と驚いた。

まったく記憶がない。家人にたずねても、「そんな霧ヶ峰は覚えがない。わたしは行ってないわよ」という。私より記憶力が数等いい家人がそういうならば、それはそうなのだろう。では、誰と行ったのか。1行だけの記述で同行者の名は記してないが、「車で往復」とあれば、当時、マイカーを持っていたのは秋山平三君くらいなものだから、おそらく彼に乗せてもらって行ったに違いない。

多分写真は写しているはずと、昔のモノクロネガを探したら、その時の1本が出てきて、なかに2人の人物が写っている1駒があった。黒白逆にしろ1人が眼鏡をかけていることぐらいは判る。それなら、そちらは秋山君に間違いないとしても、もう片方は誰だろうか。

今は便利な時代になって、傍らには多機能プリンターという便利な機械が置いてある。さっそく紙焼きしてみたら、意外や意外、秋山君と並んでいるのは黒田正雄君ではないか。


 
       秋山平三(左)と黒田正雄のお二方。(1970.9) 

ご両人ともナシを手にしているのは、いかにもその季節だが、それにしても、黒田君、秋山君の2人と霧ヶ峰へ行ったことなど、いまもって思い出せない。情けないことに、この奥多摩山岳会3人衆の霧ヶ峰山行は忘却の彼方、その部分の記憶脳細胞がみな欠落してしまったのだろう。

なお、秋山君は昨2008年の春に亡くなったが、黒田君は今も奥多摩山岳会の会員しとて活躍している。昨今、彼は『山の本』によく山行報告などを載せているが、1970年、すなわち昭和45年の初秋に秋山君の車で行った霧ヶ峰を今も覚えておいでだろうか。



3回目の霧ヶ峰は、だいぶ年がたってからになった。

1990年10月に和田峠から鷲ヶ峰を越し、八島湿原をかすめ物見岩、車山の肩をへて白樺湖まで歩いた。同行は中野英次君、寺田政晴君の2人で、このときは鷲ヶ峰に登るのが目的だった。山はもちろん、後半の高原歩きも楽しかった。その折のことは、このホームページに載る私の文章の「16話 鷲ヶ峰」にあるので、よろしかったらご覧ください。写真も添えてある。

さて、以上が「ロッジ山旅以前」の霧ヶ峰であり、以後の2003年秋からは年に1度くらいの割合で行くようになった。すなわち「ロッジ泊、かつ長沢君の車に乗って」の時代がやってきたわけで、今はその利便性を大いに好しとしている。なにしろ空飛ぶ円盤もかくやの山駆ける「ロッジ山旅号」から降りれば、もう、そこが八島湿原の一角だったりするのだからいうことはない。

ニッコウキスゲの咲く季節に定例の木曜山行に参加したことも2、3度あるし、高校の同級生たちと初夏の好日に山彦谷の北の耳・南の耳の尾根を気分よくたどったこともあった。地元の三井千恵子さん、それに長沢家の令嬢渓ちゃんと男女倉山に登り湿原を半周した日もあり、みな、楽しい想い出が残る。深田沢二さん、泉久恵さんと鷲ヶ峰に登ったのは、5月のよく晴れた日だった。



ただし、近年は花どき、夏休みの頃には人出が多くなって避けるにしかずだ。眺めは冬枯れの季節のほうがよいのだから、この先も、そんな初冬早春の好日に歳相応の「遊ぶ山」霧ヶ峰を楽しみたいと願う。



付け加えて、カボッチョも霧ヶ峰のうち。私の好きなこの山のことに少しふれておこう。

2万5千図「南大塩」の真中上端ぎりぎり、「池のくるみ 霧ヶ峰湿原植物群落」とある東方向に1681メートルの標高が記されてあるのがカボッチョである。このおかしな名の草山は、長沢君と霧ヶ峰プロパーの行きかえりに車窓から見て早くから話題になっていた。「あの山、道はなさそうだけど行ってみたいですね。草山だから道なんかなくとも簡単ですよ」と彼はいう。池のくるみの湿原には一周する遊歩道があるので、前半はそれをたどり頃合を見て取り付けば、それほどの時間もかかるまい。池のくるみの周遊にも魅力があった。

2006年の11月末。お昼少し前に小淵沢につくと「ロッジ山旅号」には三井千恵子、菅沼満子の木曜山行常連の御二方の顔が見え、「今日はカボッチョへ行くつもりで、お誘いしてきました」と長沢君。冬晴れの今日、あの辺りは一段と寒そうだが、眺めはよいに違いない。なるほど、お初のカボッチョにはふさわしい日かも知れないと納得した。

いつもながらに「ロッジ山旅号」は抜群の上昇力を発揮し、小1時間で池のくるみ遊歩道入口に駆けあがった。焦げ茶色の湿原は寒々しいが、それはそれで季節感があってよろしい。道は湿原の右側から始まり、なるいコブを越していく。湿原の向うには冬枯れの車山が、そして、その右に蓼科山が姿を現すと、こちらのほうは雪で白くなっていた。冷たい灰色の千切れ雲が行き来するにしろ、眺めに不足はない。いったん湿原の縁におりたあと、右に回っていいかげんのところから登りだした。最初は潅木の林だったが、やがて枯れ草の山腹に変わると、その先が素晴らしかった。広い山原を好き勝手に1歩1歩身を高くするにつれ、眺めはぐんと広がっていく。

正面には蓼科山が大きく、そこから東に連なる北八ツの山々・南八ツの峰々。とりわけ雪に輝く南八ツの並びが溜息をつくぐらいの美しさだ。上空の、右上がりにシャープな線を引いていく飛行機雲もいい。
山頂は小広い丘の上で四方に眺めが効くが、とりわけ蓼科山、八ヶ岳の好展望台と讃えよう。幸い風がなく、思っていたほど寒くない。菅沼さんはさっそくスケッチブックを広げ、にこにこ顔だった。

蓼科山に見入っていると、鹿が2頭、目の下の草尾根を飛ぶように横切っていった。そんなことも、あぁ、いいなあと嬉しかった。

下りは途中から方向を見定めて湿原の遊歩道におり、それを北廻りに半周して車道にあがった。所要時間は登り1時間10分、頂上で1時間過ごしたあと、下りは1時間の計約3時間で、車に戻ったのが3時半。

湿原とそれを囲む山々は一段と寒々しく、いかにも今夜は冷えそうな夕空の下でしんと静まりかえっていた。

なお、カボツチョには、もう1度、翌年の4月に森山の会のときに登っているが、この日は雨が降らないだけましという空模様で眺めは皆無。季節はともあれ、やはり、あの大展望があってこそのカボッチョだと思った。             (2009.9)          


夕暮れの池のくるみ(踊り場湿原)。 雪をかぶっているのが蓼科山で、そのすぐ右がカボッチョ。左は車山。 2006年11月29日撮影。

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