金ヶ岳の尾根歩き・烏帽子岳西尾根(若神子

ほかにやることはないんかい、と言われたらそのとおり、返す言葉もない。毒食らわば皿まで、撃ちてしやまん、欲しがりません勝つまでは、と出かけたのは、茅ヶ岳のお隣、金ヶ岳の伐採地であった。ま、同じ山のようなものですね。

航空写真と地形図を凝視、こうすればこうなるだろうと計画を頭に入れて出発である。こんなに遅い出発でもいいのという、山歩きにはあるまじき時間にお出かけなのは、ここのところの寒さで、たとえ我々高齢者といえども布団から出るのがおっくうだからである。それはそれ、遅い出発でも悠々と遊べる山が地元にいくらでもあるのは実に喜ばしい。

今年に入ってから5連続となった伐採地めぐり、つまりそれ以外をしていないことになる。行ってみなければわからないところがあるこの企画も、今まではずしたことがないのは幸運だが、今回はさらにクリーンヒットとなった。

とにもかくにも好天に恵まれ、冬は雲に隠れることの多い八ヶ岳のすっかり白くなった雄姿も、金ヶ岳の稜線からはぐっと近く、その裾野に槍穂高の連峰もくっきりと浮かんだ。伐採地内の道を巡るうちには甲斐駒鳳凰三山も存分に眺められ、その歩きやすさといい、これは展望の小道と名付けてもいいプロムナードだった。(写真を見返して気づいたのだけれど、ここから見る斑山と八ヶ岳って似てますね)

丸山に登り、木喰上人の里へ(切石・精進)

ヒルの出没しない冬の間に富士川沿いの山に行こうと地図を眺める。名所旧跡が記入されているグーグルマップをまず眺めることが最近は多い。それで当たりをつけて地形図で確かめる。

木喰上人のことは山梨県に住んでいるから耳にはしていたが、詳しく調べたことなどなかった。グーグルマップに生家や資料館(微笑館)があったので、それが下部の丸畑にあることも初めて知った。

ふーん、ならばそこへ山をからめて行く方法はないものかと地形図を調べ、いい方法を思いついた。すなわち、下部隧道から尾根に取り付き、金毘羅社のある663mの丸山に登ったのち、丸畑の微笑館を訪ねるという方法である。

何日かぶりに再び冷え込んだ朝、山梨県では南国の、富士川沿いの山に行くには絶好の日よりである。国道52号を延々と南下していた頃にくらべると、中部横断道のおかげで1時間あまりで下部の人になっているとは隔世の感である。

富士川沿いには山上集落が多く、かつては山の上まで耕して畑にしていた。それらの多くは耕作放棄地である。去年登った鴨狩津向の城山でも畑の跡を見たし、昨日も、ここは畑だったのだろうなあという場所がいくつも山の上に残っていた。そんな場所からは普段見慣れぬ方角からの山々の景色が興味深い。それにしても、自分の住んでいるところより低い場所なのに、なんと山深く感じられることだろう。

明るい尾根筋には薮もなく、実にいい気分で歩けた。丸山頂上に建つ金毘羅社に参拝し、その横の陽だまりで早い昼休みとした。あとは里道を下るのみ。途中の微笑館に他の観覧者はもちろんおらず、お茶まで出してもらって歓待された。駐車場に車がないのを不審に思われたが、山伝いに歩いてやって来る者などまずないからだろう。

この地には再度逆側から縦走してくるつもりなので、木喰上人の生家を訪ねるのはそのときとし、道の駅へと下ったが、その車道の傾斜のすごいこと。現在、拡幅工事をしているので、微笑館まで車で上がるとき、すれ違いに気を遣うことは少なくなるだろう。

微笑館で木喰上人の概要についてビデオを見た。YOUTUBEを探すと、似たようなビデオがあったが、これは現在上映しているビデオの前に上映していたものだとか。

この人、宇宙人だったのではないかしら。
日向山(鰍沢)

紺碧の空である。それだけに1月末の大寒波を思い出させる冷え込みとなったが、修理するところは修理して、水道設備が安心となったのは、一種の怪我の功名である。なにせ今までは老朽化しているにもかかわらず、暖冬のおかげで何とか切り抜けていただけだったのだ。

久しぶりの雪らしい雪が降って、これなら中信高原あたりもスノーシューで遊べるようになったかなと考えたのは昔の話、今は、どこか暖かくて雪のないところはないかいなと行き先を探す。

そこで思いついたのは、添付画像の場所である。よくぞこの山の上に、と感心するほどの建造物が広い山頂に点在し、世界平和を祈念してという目的から、それこそ神仏習合、狛犬が護る仏舎利塔といい、雑多とも思える有様である。しかし苦しいときには八百万の神に助けを乞う日本人ならそれを嗤えまい。意匠の統一性のなさに違和感のある建造物が並ぶものの、広い山頂伽藍は清潔である。

なんらかの仏事でもあればにぎわうことがあるのだろうが、この日見た人影はたったのひとりのみ。車道が通じるといっても険路だし、歩いていくにも、30分くらいは急な階段を登らされるとあっては、そう気軽でもない。

この山塊(日向山という)を南北に全山縦走してみたのは12年前で、それ以来となったが、今回は途中ではしょって里に下りた。仏舎利塔は去年塗り替えられたばかりらしく、輝くばかりの白さであった。
後ガキ山(甲府北部)

水曜日は最高の天気で、木曜山行に参加しようと各地から前泊でおいでになった方々にとってはすばらしい車窓風景が楽しめたことだろう。私も所用で茅野市まで出かけ、ことに北アルプスの白さには目を奪われた。

さて、たった3人で江戸時代(つまり265年)という、前代未聞の年齢層が参加とあっては、いったいどんなところがいいだろうと少々悩むことになった。甲府の大笠山なんかは好適と思われたが、問題は祝日だったことで、甲府のことだものたいした人出があるはずもないが、できれば誰もいないにこしたことはない。

そこで思いついたのが、今年の新年山行で歩いた後ガキ山だった。あそこなら、休日でも人はまずいないだろうし、行程もごく簡単である。それに前回には参加しなかった人ばかりなのも好都合である。

南アルプスあたりは半分雲に埋もれていたが、肝心の金峰山はうっすらながら見えていたのは、後ガキ山あたりが御嶽信仰の道が通じていた山域だと思えば上出来だったといえるだろう。江戸時代に旺盛を極めた御嶽信仰の地に、3人で江戸時代の人たちが集結したのもまた一興だった。

前回には気づかなかった石祠を頂上直下で見たのも収穫だった。大伐採地からの風景は、さほど遠くない将来には隠れてしまうと思えば今のうちに行っておく価値もある。

それぞれが遠くへ帰郷するので早めに下り、なお時間に余裕があったので、金桜神社に参拝、昇仙峡を見学しつつ甲府市街へと下った。

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