秋山二十六夜山(瑞牆山)

全国で冬の嵐のニュースを聞く朝だった。そんな冬型の気候が強まれば山梨県はぐっと冷え込んで、しかし空はスカッと晴れる。今は上野原市になってしまった秋山村も空は真っ青だが、標高はさほど高いわけでもないのに、谷底で地熱が低いからだろうか、おそろしく寒い。

そのうえ北の斜面の登高で風も強いときているのだから、登りにそなえて薄着にしていた私は、急登の連続にもかかわらずまったく汗もかかないので、途中で上着を2枚重ねることになった。

この冬は山に雪が来るのが早かった。登る途中から山を見渡すと、年が明けてからやっと白くなるような大菩薩の連嶺もすっかり白くなっている。先々週歩いた雲取から飛龍の稜線も真っ白で、少しおそい計画だったらとても予定どおりには歩けなかっただろう。

それにしても、前回は下ったこの径を今回は登っているわけだが、ほとんど前の記憶にないのはどうしたことだろう。途中、何度かは傾斜がゆるむものの、ほぼ一直線の鉄砲登りで、前回は雪もあったはずだし、これを下るのはけっこう大変だったと思うのだが。

山の名前の由来となった、二十六夜と彫られた石塔は頂上のすぐ下の広場にあって、7年前に来たときには倒れていたが立て直してあった。暖かそうなその広場で昼休みをすることにして、頂上を往復した。

尾崎へ降るのは初めてだったが、これはごく古くから歩かれていたことがわかる径だった。すなわち径の付け方がとてもうまい。

降り着いた尾崎にも、また車道を歩いて戻った浜沢にも、道路脇に「二十三夜」と彫られた石塔があったので、この2か所から月待ちの行事で山へ登る径があったと思われる。尾崎からは今の径そのものだろうが、浜沢からは、今の地形図にも残っている、頂上へと直接延びる破線がそれかもしれない。18年前、それを探して降ったことがあるのだが、すでにそのときにもほとんど径形がなかったように覚えている。

田中澄江は、郡内にふたつある二十六夜山での月待ち行事を隠れキリシタンと結び付けてロマンチックな想像しているが、無粋な私は、月待ちにかこつけて、案外山の上で賭場でも開かれていたのではないかと想像するのである。

猪狩山(甲府北部・茅ヶ岳)

今年最後の木曜山行はどこへ行こうかとぎりぎりまで悩んだが、結局、今年も何度も通った羅漢寺山塊に行くことにした。

目指すは猪狩山、といっても私が仮に名付けた山名なので検索しても出てこない。甲府市猪狩町の裏山で、そこからはこのように見える。地元ではれっきとした呼び名があるかもしれないと、いつぞや猪狩町の店先で訊いたことがあるが、瑞牆山ではないことは確かだと言われた。地元だから山のことを知っているなんて昔のはなしなのである。

旧敷島町で整備した「ふるさと自然観察歩道」は獅子平と下福沢の間に通じていて、途中、羅漢寺山を経由する。駐車場のある獅子平からは数えきれないほど歩いたが、下福沢からの径はまだ歩いたことがなかったので、これを登って猪狩山経由で北へ金桜神社の峠へ抜ける計画とした。

下福沢からの径は8割ほどが舗装路歩き、しかもあたりは杉の植林地だからあまり面白くはない。あまり歩く人もなさそうという点では利用価値もあるだろう。

まだ早い時間に稜線に達してしまったので、今ならさほど人もいないだろうと羅漢寺山に寄り道をした。ロープウエイ駅周辺がますます俗悪になっているのは問題だが、眺めだけはいい。ここでは富士山さえ見えていれば観光客にとってはいいのだろう。富士山遥拝所がしつらえてある。しかし歴史的には、ここからは金峰山の眺めこそが本命で、考え方が間違っている。

弥三郎岳を往復したのち猪狩山へ向かう。御岳町から羅漢寺山へは稜線伝いに車道が通じていて、その車道からひと登りで猪狩山へ着く。南アルプス方面が伐採されてヒノキが植えられているが、それがまだ低いので眺めはそこそこある。もっとも昨日は雪雲ですっきりはしていなかった。

この山で昼休みをするつもりだったが、風が強いので、何年か前に新年会をしたことのある林へ行くことにした。誰も知らない宴会場で、風もなく日当たりがいいのでのんびりできるところである。

ゆっくり休んだのち、金峰山の眺めのいい稜線を下って、車道まではわずかな距離だった。

夕方からはロッジにて納会である。たまたま私の友人家族が泊まることになっていたので、彼らも無理やり参加させ、総勢10人での忘年会となった。宴会というのはせいぜいこのくらいまでの人数がいい。

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