36. 倉掛山      2007(平成19)年6月30日

梅雨の季節、長沢さんと白沢峠経由で倉掛山に登った。この写真を見れば、当時は当ロッジご主人の天辺とクリオ君も、まだまだ健在であったことがうかがえよう。以後一昔にプラス1年、年月とともにいろいろ変るのも当然のことかもしれない。なお、一度、時を得て白沢峠にあるトラック植えの桜花を愛でたいと願いながら、まだ、果たせないでいる。

倉掛山山頂の標識の左に白く見えるのは広瀬ダムの水面で、昔はその辺りに大きな貯木場と製材所があった。また、笛吹川の右岸には木材や珪石などを運ぶトロッコ軌道が通じていた。歩くならば左岸の秩父往還(当時は未舗装のトラック道)よりも短いと土地の人に教えられ、雁坂峠の行き帰りに何回か歩いた覚えがある。軌道内は一応歩行禁止となっていたが、村の人はどこ吹く風で好き勝手に歩いていた。トロッコは馬力、簡単なエンジン付き機関車、時には手押しで動いていた。

補記 

1. 1950年代、岩波写真文庫というテーマ別の写真集が岩波書店から出版された。計286冊になるといい、大きさはB6判ですべてモノクロ写真、定価は100円と決まっていた。私は『アルプス-スイスの山と人-』『ヒマラヤ-ネパール-』など山と登山に関連した何冊かのほかに、『村と森林』257(1956.3)という1冊も買った(写真拡大)。というのも、その『村と森林』取材のW村Wとは、当時は山梨県三富村、現在は山梨県山梨市のうちで、かつて私が奥秩父の山の行き帰りに何度か通ったことのある山間の村だったからである。そして、私が歩いた頃も、そこに写っている村人の生活ぶりや辺りの僻地的風景は、それほどは変っていなかった。雁坂峠に登るにしても塩山からのバスは三富村役場が終点で、前途はすこぶる長かった。三富村最奥の広瀬まで来ると、やっとここまで来たかと峠の高みを見上げながら、一休みしたものである。広瀬ダムができ、さらに雁坂トンネルが通じた今日、この辺りの景色は一変した。

2. 岩波写真文庫は、1990年代になって判型を一回り大きくした復刻版が出版された。定価は600円。上記の3冊に加え『富士山』『上高地』『冬の登山』『日本の森林』『地図の知識』『山梨県-新風土記-』、復刻版の『北アルプスの山々』『群馬県』が、今も書棚に収まっている。『冬の登山』の監修者が松方三郎と林和夫、写真提供は内田耕作、風見武秀、橋本誠二、梶本徳次郎、船越好文などとあれば、みな昔懐かしい方々ばかりで、すっかり嬉しくなってしまうのである。(2018.11)
   

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