97. 三本槍岳、大峠
      1988(昭和63)年8月9.10 

那須連峰の三本槍岳から西に大峠の鞍部を介して流石山、大倉山、三倉山へと続く尾根は1800㍍ほどの高さを誇り、なかなかの風格を見せて人の気を誘うこと一方ならず。

三斗小屋温泉の二階の窓から見るたびに「いつか、あの稜線を」と心に決めていたが、その望みを1978年の初秋に達した。家人同伴、前夜は三斗小屋温泉に泊まっての山行で、本欄のモノクロの部「その2」に載る「大倉山、三倉山」が、それである。

また、拙著『幾つかの山』(朝日新聞社/1980)にも「大倉山から三倉山へ」という1篇があるので、お持ちの方はそれをご覧いただければ幸いだ。当時、この尾根は歩く人もごく少なく、道の定かでない個所もあっての野性味がよろしく大いに気に入った。

そこで、その10年後、今度は大峠にテントを張って縦走しようと寺田政晴君と二人で出かけたのが、この3枚の写真を掲げる山行である。

初日は、まず峰ノ茶屋の鞍部から旭岳、三本槍岳と登ったあと大峠におりてテントを張った。この日はまずまずの天気で、「明日もなんとかよいだろう」といっていたが、一夜あけると怪しげな雲が低迷し、「これは芳しくないねぇ」と顔を見合わせる始末。

まぁ、少しいってみるかと流石山1822㍍まで登ってはみたものの、小雨が顔に当たるようになっては気勢があがらない。結局、縦走はやめ、せっかく大峠まで来たからには会津側におりてみようということになった。そして野際新田の集落に出たところでタクシーを呼び会津田島まわりで帰った。なお、初日、旭岳からくだった清水平で、寺田君がコンパクト・カメラ(当時のことだから、35㍉フィルム使用の)を拾った。彼がいうには、「これは、ちゃんと動きます。ヤマケイの落し物欄に載せておきますから」。

と、これは30年近い昔話になるが、今、あらためて「でも、なぁ、寺田君、このあと、一緒に行った山で君がザックからとりだしたのは、あのカメラではなかったかい」と尋ねてみたい気がしないでもない。 亡くなって10年、存命ならば今年68歳になる彼は、はたしてなんと答えるだろうか。

(2016.5)

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