43.編笠山、西岳、権現岳
   1985(昭和60)年
       4月30日、5月1日

西岳には3度登っている(初回は1981年8月。本欄「その1」に記載)。この2回目の残雪期には、寺田政晴君がテントや炊事用具を背負ってくれた。朝早い中央線に乗り小淵沢からは観音平近くまでタクシーで楽をしたあと、編笠山を越した青年小屋前にテントを張り、その日のうちに西岳を往復した。翌日は権現岳から天の河原、天女山を経て、甲斐大泉駅へくだった。下界におりると浅はかな色とりどりのペンションの類が次々に現れて、「なんたることか」。こんなところは早く通り過ぎようと腹立ちまぎれに足が速くなり、寺田君と家人に「いかになんでも速すぎる」とたしなめられた。

ついでに3度目のことを述べておくと、それは2002年6月初旬。すでにロッジ山旅ができ、長沢君と知り合ってからの登山になる。寺田君の車で早朝出発、まずロッジへ立ち寄り、「えっ、わたしも行くんですか」と、びっくり眼の長沢君を拉致して西岳を往復した。

登る途中で、長沢君は手持ちの充電器にぴったりの単三充電池4本を拾い、長く重宝したとのこと。彼の拾い魔的才能は早やこの頃から開花していたようで、後日、私もデサントのフリースジャケット(「ブランド品です」と念を押された)や歩数計など、様々な恩恵にあずかっている。「長沢君、なにとぞ、この先もよろしき品々を……」。



上 八ヶ岳のあまたある山の頂上の中では、私はこの西岳の天辺が一番好みに合っている。かつての信仰登山の名残りの石仏や石碑が見られるうえに、なにしろ他の登山者に煩わされないのがいい。眺めも荒々しい赤岳や阿弥陀岳の岩峰が迫力一杯で、言うことなしだ。

中 権現岳の山頂付近。赤岳が威風堂々の山容を見せている。

下 編笠山に登りついたところ。     

(2014.10)

中、下の写真はクリックすると大きくなります

横山厚夫さんのちょっと昔の山 カラー篇トップに戻る